丹比神社(たんぴ)
堺市美原区多治井157−1 its-mo

交通 近鉄南大阪線松原駅 南3km

祭神 火明命、瑞歯別命 合祀 宣化天皇、上殖葉皇子、十市王子、多治比古王、多治比真人

鳥居



注釈 河内国丹比郡の式内社である。『新撰姓氏録』には「丹比連は火明命の後なり」とある。これによって祭神に火明命が掲げられている。
 しかしこの地は宣化天皇を始祖とする多治比真人一族の本貫の地であったので、多治比の祖神を祀っていたものとされる。
 瑞歯別命は反正天皇(仁徳天皇の子)であるが、この地付近はその反正天皇の河内丹比宮の伝承地であることから、付会されたと言う。*1

 反正天皇の御名代の制による丹比部として設置された地域を統括した丹比連の祖神を祀ったのが創建で、そこえ宣化天皇の流れをくむ丹比公(真人)の支配地に変わったのでその一族の祖神をも加えられたということであろう。



 延喜式内社であるが、都は平安京へ移ってからは地域は衰退していった。また南北朝の争乱や戦国期の畠山抗争のあおりで喪失、衰微していった。長い参道が往年の勢いを偲ばせる。

 なお、この地は河内の鋳物師の発祥の地ともされる。式内の櫟本神社を摂社としている。


お姿



 当社の北1kmを竹内街道、西側は丹比大道があり、古代の交通の要所であった。
 河内では東向きの珍しい神社である。鳥居から長い参道がある。馬場先と言われる。



お祭り
春季大祭    3月25日、夏季大祭  7月25日
秋季大祭   10月 9日 3日間


『平成祭礼データ』から 

 當丹比神社に鎮まります火明命は瓊瓊杵尊の御子でありまして、丹治比氏の祖神であります。丹治比氏は奈良時代に火明命の御神徳を承けて大変繁栄し、皇室に忠勤を働きましたので、仁明文徳清和天皇の時代に何度も位を授けられ神宝幣帛を捧げられたのであります。火明命は御母神木花開耶姫からお生れになった時、仰せられたお言葉に「吾れ天神の子なり其の名を火明命という、火の難に當えども少しも損なう所なし、復倫に超れた気(いきおい)あることを明さむと欲う」と、これは火明命が火の神様であり生々躍動の神であるぞと言らせられた神語であり偉大なる御神徳を顕わされた神意であります。
 以上



櫟本神社
イチヒモトノ と訓む。創建の時、この地に大きい櫟の木があり、瑞歯別皇子(反正天皇)がこの大木を賞して、丹比の櫟本と名付けたのに由来すると云う。
 祭神は「詳ならず。案ずるに木霊か。」とか、反正天応、応神天皇、『姓氏録』に、葛木直は天押立命の後、とあり、この天押立命とする説がある。 高魂命ー伊久魂命ー天押立命と続く系譜がある。賀茂県主の祖である。

摂社櫟本神社


*1 日本の神々 3 白水社  式内社調査報告四巻


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