若江鏡神社(わかえのかがみ)
東大阪市若江南町二丁目  its-mo


鳥居



交通

 近鉄奈良線若江岩田駅南南西1.2km



祭神


大伊迦槌火明大神、足仲彦天皇命 配 息長足媛皇后

摂社
天照皇太神社「天照皇太神」
塚本稲荷神社「豐受大神 合 勝手明神、楠木正成」
熊野権現社「熊野権現」
水分社「水分神」
鏡竜社「錦竜權現」
御縁地蔵尊社「地藏尊」



由緒

 雷の森と云われたのは本殿前に雷の手形石(雷神石)があるそうで、水神としての功徳があったのが謂われだろう。
 創建は不詳、祭神についても議論がある。『文徳実録』に「河内国大雷火明之神、従五位下」と記されており、当神社のことと想定されている。

 神社建物や宝物は大坂夏の陣の兵火に焼失したが、文政十一年(1828年)に三間社流造檜皮葺亀腹上に再建された。これは一間社流造二棟を中央に相殿を入れて連結した珍しい遺構だそうだ。

 神功皇后四年、大旱魃があり、農作物の枯死寸前に際し、神前で大般若経を唱読し祈願した所、神社裏の淵より清水が湧き出て危機を救ったと伝わる。 これより般若経の若と水の源の江をとり、若江郡と称せられたと言う。


 この「若江」の謂れは、苦しい所だが、若江造は『新撰姓氏録』右京諸蕃に「後漢霊帝後裔奈率張安力」の後とあり、この氏族が住んだ地域とも推測されているが、当「若江」と言う地名以外には文献上では確認できないそうだ。

 祭神を探るのには「鏡」がポイントとなる。大和の鏡作神社は火明命、美濃國の各務郡(かがみ)の村国真墨田神社も火明命であり、 またここの南には物部氏の本拠地の八尾であり、物部氏ゆかりの火明命を祭神とするのが妥当かと思われる。
 祭神を火雷火明命とすることが鏡作氏の遠祖の火明命に通じると言う。


拝殿



お姿

 平地に鎮座している。東を向いて鳥居、拝殿、本殿が一直線に並ぶ。背後は古墳だそうだが、ほとんど目立たない。 本殿は高い垣に囲まれてなかなか見えない。

南側から無理矢理見た本殿




お祭り

秋大祭 10月10日、11日 だんじり

由緒 平成祭礼データから

 当社は東大阪市若江南町二丁目三番九号に鎮座し、境内地は、約二千坪を有します。
延喜式内社でありますが、創立年代は不詳であります。しかし、文徳実録等の古書の斎衡元年(八五四)卯朔丙辰に「河内之国大雷火明之神従五依下」等記されてることから見て、相当な古社であると言えます。
以上

難波の三種の神器が神社配置に!

 石切劔箭神社、玉祖神社、若江鏡神社は地図のように三角形を為している。


参考文献
『式内社調査報告第四巻』
『平成祭礼データ』神社本庁
『大阪府神社史資料』

公式若江鏡神社
物部氏ホームページ
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