丹生神社
奈良県高市郡高取町丹生谷字大入



風景




交通案内
近鉄吉野線葛駅 南東800m mapfan


祭神
罔象女命


由緒
 和歌山県伊都郡天野に鎮座する丹生都比賣神社に伝わる『丹生大明神告門』に、「下坐天巨勢丹生忌杖刺給(クダリマシテコセニフイムツエサシタマヒ) 巨勢は大和国高市郡の郷名にして和名抄万葉集等に見えたり今越村といふ名遺れり越村の邊に丹生谷村あり是巨勢村【丹脱落か:瀬藤】生なるへし 忌杖刺は神地の四至に杖を刺て標し給へるなり」 とあり、当社の事と思われる。
 松田寿男著『古代の朱』によれば、高市郡志料が里俗「於丹生さん」と称せり、と伝えると記している。
 また、明日香村丹生谷にも大仁保神社が鎮座、ここを顔当神社とする意見もあるが、明日香は十市郡であり、無理筋かと思われる。大仁保神社は大丹穂山に鎮座、従って『日本書紀皇極三年紀』に蘇我大臣蝦夷が大丹穂山に桙削寺を造ったとあるが、蘇我氏の領域は明日香であり、 当地は巨勢氏の支配する地域であったことも傍証になる。

 雨乞いの神として近年まで日照りが続くと村の人々は神社を祀り、最後は祠を下のかりや池に転げ落とすと言う神事がなされていた。 勿論後で拾い上げる。 祠は小さいがこれをよく見ると太い材木で頑丈に造られていた。また、かりや池は既に埋め立てられて、住宅会社と道路になってしまっている。 それでも丘の上に大切に祀られている。

 この地域の屋敷神はそれぞれ立派なものが多い。



お姿
 葛駅の西側のタクシー会社で道順を聞いた。住宅地図を出してくれてるる説明を聞いた。 風呂屋の前を右に折れて・・、と聞いていて、てっきり銭湯を予想していたが、ふれあいセンター付属の「ふれあい湯」のことだった。 行きすぎたが、次の畑仕事の人に「風呂屋を右に曲がる」と聞いたが、風呂屋はどこだろうと尋ねたら、一挙に目的地へ行く方法を教えてくれた。 丹生谷の各位に感謝。

 その近所についたが、住宅会社の上の竹藪の中だろうと推定して探し回ったのだが、神社や神社跡も見つからず、 諦めようかと思っていたのだが、道の向こうに小祠が見える。 あれかも知れないと思って、竹藪をおりて道を越して小祠へ登っていった。 半信半疑であったが、祠が古いがいかにも骨蓋だったので、多分これだろうと思い、帰りに先のタクシー会社へよってその事を話をしたら、 「そうです、それです、今でも祀っている人がいるのです。」と。
お祭り
  月  日


丹生谷の稲荷神社


鳥居と祠
  


 



参考 『古代の朱』、『奈良県の地名』

丹生都姫伝承
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