丹生神社(にゅう)
滋賀県長浜市余呉町上丹生378  its-mo

交通案内
JR 余呉駅 東北3km

祭神
彌都波能賣命、丹生都比賣命

摂社
八幡神社「應神天皇」
伊波佐伎神社「伊波佐伎大神」
平地岩宮「平地岩大神」
稲荷神社「宇賀廼魂大神」
蛭子神社「蛭子大神」

由緒
  天武天皇の時代に丹生真人が丹保野山に神籬を設け、山土と丹生川の清水を供えて天津神を祭り、天平宝字年間(757−65年)に社殿を現在地に創建したと云う。

 丹生真人は息長氏の一族で、『新撰姓氏録』では応神天皇の皇子稚渟毛二俣王の後裔で、息長丹生真人と称していた。

 中世には「丹生大明神 天神 白山 両宮」あるいは「上丹生天神白山」「天神白山権現」と呼ばれていた。越前に抜ける道筋であり、白山信仰が入ってきている。
 下丹生の神社から上丹生の神社へ向かう間に、巨木が二本並んで立っている。その前に幣が立てられていた。

巨木




お姿
  川向こうの小高い丘に鎮座。拝殿は工事中であった。
丹生都比売は水神ともされている。この神社に参詣している途中から大粒の雨が降ってきた。しかし神社を後にすると、すぐにやんでしまった。 おりからの琵琶湖の水位が気に懸かる昨今であるので、今度は台風の神の方に風よりは雨をお願いしよう。

鳥居


本殿



お祭り
  1月 7日 丹保野山から赤土を取り、丹生川の清水を汲んで神前に供えた後、それらを混ぜて神主・氏子の額に神印を押し、息災安穏を祈願する。

4月 3日 2日間 例祭(茶わん祭)
9月 1日 1日間 風神祭(風の前祈祷)




『オコナイ』

 「滋賀県伊香郡余呉町上丹生の丹生神社一月七日の『オコナイ』。一月六日早朝餅搗き。最初に搗いた餅は、径三十センチ位のヘギでつくった『オカワ』に入れる。これをカワノウチといいそれを中心に大鏡餅をつくる。直径一メートル、厚さ二十−三十センチの大きなものである。これを大きなハンボに入れて、木の台(ハシゴ)にのせる。鏡餅の中央に御幣を立て、木の台の四隅に榊を立てて、シメナワを張り、これを当屋の座敷の床の間に飾り、『オ光』(灯明)をあげて鏡餅の番をする。一月七日、鏡餅はモチカキ八名にかつがれて丹生神社に向う。先頭はヌカマキといい、楓の木をうすく割って編んだツボカゴに清めのためヌカとシオを入れて、それをまきながらすすむ。丹生神社に到着して祭典があり、そのあと、丹生川の水と神酒でといた氏神境内近くの赤土を木の棒につけて鏡餅に押し、参拝人の顔にも押す。これはあらゆる願事に効き目があるという。
 これらの行事がすむと鏡餅は当人の家に迎えられ、その夜は餅の番をする。翌日鏡餅は切って村中に配られる。オカワはつぎのオコナイまで毒間、床の間で祀られる。」(田中義弘編集『まつり』二四号特集「おこない」五七ー六一ページ要約) 吉野祐子 『蛇』から。
H24.10.15 追記

日本の神々5 白水社、古代の朱(松田壽男氏)学生社、青銅の神の足跡(谷川健一氏)小学館

丹生都姫伝承
神奈備にようこそ