『倭人伝』の対馬の項で、「道路は禽鹿(キンロク)の径の如し」と書いています。獣道が道のルーツだったことを物語っているように思います。獣道には所々に水がわき出る場所があるようです。所謂、断層の上が道になり、この断層からはα波やγ線なども出ていて、人間にとっては心地よい気分になったり、または閃きがあったり、天の啓示を受けたりしたのでしょう。その場所を聖地のように感じ、神の降臨の場所と見立てて籬を作る場所として大切に扱ったのでしょう。
金剛葛城山系の東側に葛城古道が通っていますが、24号線よりやや西側となっています。ここには古紀路と呼ばれた古代道路があります。一言主、名柄、高鴨と神社が並びます。 山辺の道も三輪の大神神社・大和神社や石上神宮などそうそうたる神社が並んでいます。
難波では断層と神社がくっきり出ているのが熊野古道がそうなっているようです。上町台地の西側の熊野古道は丁度谷町堺筋の間にあたり、断層の真上です。谷町線の地下鉄工事で水脈が切られて井戸もかれました。岸和田の久米田断層の上も熊野古道が通っています。そうして熊野古道沿いには元々の神社も多く鎮座していますが、さらに王子社がいくつか作られました。
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