ペルー旅物語 平成十八年九月〜十月



JTBのパックツアー
平成18年9月26日から10月5日までの10日間のペルー駆け足ツアーのレポートです。

 何故ペルーなのか。バイカル湖付近でたむろしていた我々とインディオの祖先は様々な圧力の中、北へ、東へ、南へと旅だった。 親戚が再開を約束して別れていったのである。ペルーへは、一万〜二万年前に、一万年をかけて到着したようだ。日本では石器時代から縄文時代を築いた人々である。 太古の再開の約束を果たすべく、旅に出たのである。

 南半球、赤道に近い高地、空は真っ青、実に快適な気候。常世の国。


1.日程
 
 9月26日(火) 関空ロビー集合 ロス経由リマへ出発
 9月27日(水) リマ市内
 9月28日(木) クスコへ クスコ市内 ユカイで宿泊
 9月29日(金) オリャンタイタイポ駅からマチュピチュへ マチュピチュ遺跡
 9月30日(土) マチュピチュ 博物館 クスコへ
10月 1日(日) クスコ シルスタニ遺跡 プーノへ
10月 2日(月) チチカカ湖 リマ経由イカへ
10月 3日(火) ナスカの地上絵 リマへ
10月 4火(水) ロス経由 帰国(10月5日)  


2.リマ市内

 リマで思い出すのは日本大使公邸のゲリラ占拠事件。その後、公邸は別の場所に立て直されている。まるで要塞の様な建物。
 インカの神殿や宮殿を破壊した跡には殆どキリスト教の教会が建てられている。スペイン人はインデオに対してキリスト教への改宗を迫り、拒否すると殺したようで、教会の地下室は白骨で埋まっていると言う。インカ以前の古い神話にあらわれる代表的な女神はパチャママと言う。先住民たちによって信仰されていた豊穣を司る大地の神であり、全てのものの母親とされる。現在はキリスト教のマリアに読み替えられており、改宗後も古来からの信仰は捨てられていないようだ。この神は日本ではイザナミの神に相当するか。

 アンデスの西側は砂漠地帯、ボソボソとユーカリの木が植えられている。地下水は豊かなようだ。ユーカリは豪州から持ってきた。


大地の神パチャカマック、その妻であり大地母神である冥界の神パチャママ


マヨール広場の教会


 年間降雨量が極めて少ないリマであるが、朝は霧雨のようだった。これを「インカの涙」と呼ぶ。

 大統領府があり、その背後に禿げ山がある。降雨量の少ない地域の山々は木々が極めて少ない。この禿げ山もそうである。藤森大統領の時期に禿げ山の頂上に大きい十字架が建造された。禿げ山であっても神奈備山と見立てたのであればやはり藤森元大統領は日本国籍を持つに相応しい方である。
 なお、この禿げ山(だけではないが)貧民窟になっている。


大統領府     禿げ山
             禿げ山の頂上の左に十字架がかすかに見える

 

 リマには幾つか博物館があるが、黄金博物館を訪問。金持ちの個人が盗掘品も含めて採取したものを展示。展示品は撮影禁止。庭に注目すべき石。

邪視石、地蔵、猿石のような石像


 


3.クスコ

 インカの首都。標高3399m。
 サント・ドミンゴ教会はインカ時代コリカンチャ(太陽の神殿)だった。神殿を囲む石組みの壁はゆるやかなカーブを描き、高さ約21cmの金の帯がその上にのっていたと言う。内部にも金がふんだんに使われていたと言う。石組の精度は素晴らしく、カミソリの刃も入らないと言う。


後世に造られたインカの宇宙観の絵

 インカの要塞の跡−サクサイワン−が残っている。長さ360mの石組みの精度が高い。インカは夜は闘わない。その隙をつかれて敗北。
 この遺跡の近くにサント・ドミンゴ教会などから地下道が続いていると言われる。地下は迷路のようになっていて探索は出来ていないようだ。


強者どもが夢の跡

 タンポ・マチャイ−聖なる泉−
 常に同じ量の水が沸き出している。沐浴場とも言われるが、水神を祀っているとも言われる。サイホン方式でどこからか水をひいているのだが、その場所は不明だそうだ。この場所の向かいに見張り所がある。


水神祭祀の跡

 インカ文明の不思議を挙げておこう。
 1.鉄を使用しないが、黄金はふんだんに。アンデス山脈の東斜面の砂金だとか。インカ以前のシカン文化が黄金の文化であり、この金を受け継いだのだろう。
 2.精密な石組み技術。石と石をこすり併せたとか。
 3.文字のない文明。紐の結び目や色で情報を伝えたとか。  


4.高原列車で空中都市マチュピチュへ

 砂漠の谷間にオリャンタイタンポの駅がある。


高原列車と山

 アンデスの禿げ山の谷間を列車は延々と走る。クスコからアマゾンへ流れるウルバンバ川に沿って行く。山裾にはインカ時代の遺跡跡が山裾に見える。
 マチュピチュ駅に到着、ホテルで休息してからバスに乗り、空中都市マチュピチュへ向かう。マチュピチュとは老いた峰の意味。アマゾンの密林地帯の一画であり、木々も多く、虫も飛んでいる。
 スペイン人に発見されないまま、20世紀初めに発見された。一家族が住んでいたと言う。都市の総面積は5平方キロm、3分の2は段々畑。


下から見上げた都市

 


全景


1.段々畑

 
岩ばかりの所に段々畑を作るのは、石垣を作り、底に大きい石、その上に細かい石、さらに土を置いて畑とする。山に雨が降った場合には、水が底を流れ、上の土までは流れないように作っているようだ。 畑ではジャガイモ、トウモロコシ、コカの葉など。ワイナピチュの頂上付近にも畑が見える。


ワイナピチュ(右の山)と段々畑


インカ道(左の山に見える道)と段々畑
 


2.太陽の神殿とその下の陵墓部分

 太陽の神殿であるのは、夏至の日が内部の石のラインにピッタリだそうだから。残念ながら、内部はうかがい知れない。
 下の部分は陵墓とされる。


太陽の神殿


下の陵墓部分


コンドルが羽を広げたイメージ(明日香の亀石を思う)

 


3.日時計

 マチュピチュの最高点。高さ1.8mの日時計とされる。角柱の各角は東西南北を示している。


日時計

 この下に小さい階段があり、日の出に神官が登ってきて祭祀を執り行うと言う。


4.神聖な広場

 主神殿、三つの窓の神殿、神官の館に囲まれた広場がある。
 三つの窓は、インカの信仰である天−コンドル−平和、地−ピューマ−力、地下−蛇−豊穣の三体を示している。

 またインカ発祥の伝説に、タンプ・トッコと言う三つの穴から八人の兄弟姉妹が湧きだし、そのうちの一人が初代皇帝マンコ・カパックとなり、クスコでインカ帝国の基礎を作ったと言うお話。


三つの窓の神殿

 破壊を免れて残ったインカ遺跡として貴重な存在。

 空中から下へ降りると博物館がある。その途中に祠があり、キリストを祀っているようだが、どうも所謂キリスト教徒が祀ったと言うよりは、インカの民族宗教の延長で、例えばキリストを地主神と見なして祀っているようにえてならない。このような雰囲気の路傍の祠や禿げ山の頂上の祠など散見される。


祠と祠の中

 

 


5.古代墳墓−シルスタニ遺跡−

 150基ほどの墳墓が点在する遺跡。
 墳墓は石組みで周囲が丁寧に丸く削られている。スペイン人がここに到着した時、金が使われていなかったので烈火の如く怒り、墳墓を破壊したと言う。実は墳墓だから地下に副葬品として金製品があったが簒奪を免れたようだ。墳墓にはトカゲが刻まれている。シッポが再生する故のトカゲ。
 ストンサークルがある。手前は月、向こうは太陽を祀ると言う。


墳墓の塔とストンサークル
 


通りすがりに見たインディオの家の守り神 牛と十字架

 


6.チィチィカカ湖

 海抜3890m、琵琶湖の12倍の広さの湖で、隣国ボリビアと6対4で分け合っている。ボリビアもインカ帝国の範疇だった。
 アンデス山脈からの雪解け水が集まる。水温は8度以下と低い。トトラ葦を積み重ねた島がある。大阪では葦舟の寿命は1年程度だが、ここでは3〜4倍の寿命。トトラ葦は淀川等の葦よりは畳の材料の井草に似ている。
 ウロス島など葦で作った島には学校や教会もある。歩いて見たが勿論大地とは違う。リューマチや関節痛、また日差しが強いので皮膚癌などでここの人々の寿命は長くない。


葦を重ねた島 葦の家には藤森氏寄贈の太陽電池


葦舟

 チィチィカカ湖畔のプーコはインカ帝国初代の王マンコ・カパックが降臨したと言う伝説がある。13世紀初頭の頃。太陽の御子と名乗り、その内本人もその気になったと言う。もっとも、第八代あたりまでは伝説上もしくは半伝説上の王であって実在は疑われている。日本の欠史八代に相当するか。第九代パチャクティ・インカから実在が確認されると言う。1483年から71年まで王位にあった。マチュピチュは彼の離宮と言う。第十三代のアタワルパが最後の王で、スペイン人に捉えられ、国中の黄金を集め、積み上げさせて命乞いをしたが、結局最後は殺され、王の血統は途絶えた。1533年のこと。  

7.ナスカの地上絵

 紀元前900年から900年位の間、この地方にはさまざまな文化が花開いた。そのどれかがこの地上絵を描いたのであろうが、拡大器を使って小さい原画を大きく描いたもの。
 パンアメリカンハイウエイは北はアラスカからチリの南端まで南北アメリカ大陸を結ぶハイウエイがナスカ平原を貫通している。それ以外の道も多く通っているので、地上絵もかき消されそうな状態。
 イカと言う町からセスナで地上絵を上から見ることができる。ナスカとは平原の意味だが、だだっ広い平原に絵があるのではなく、山脈で区切られたそれぞれの平地に絵が見える。


ハチドリとされる絵

 マリア・ライ博士が地上絵を守るためにたてた塔と、右側は「手」、左側は「木」とされる地上絵。博士は地上絵はナスカ人のカレンダーであり、線は太陽、月、星の軌道で、絵はナスカ文化の神だった星座と解いた。 それ以外にも諸説がある。


ハイウエイ、塔、手、木


コンドル


滑走路は多い


宇宙人? 中央に斜めに見える。この画面は無修正

 

神奈備にようこそ
H18.10.2