Uga 神と仏

1.対比 
  カミ  
来るもの 立つもの 祭るもの 見えざるもの 祟るもの 
 カミは、巡行し、神幸いするもの。マレビトであった。後に、産土神・鎮守となった。
 祟りとは本来、立つという意味である。(折口)
 カミがカミを祭る。市杵島姫(松尾大社)、御子神、若宮など。
 神を明神とよぶのは、神仏習合における仏が垂迹した神の名である。姿を現したのである。本来、カミは、神域の森の奥に隠れているもの。
 農業の稲荷、武力神の八幡神、祟り神の北野天神。
 魂魄

  ホトケ
往くもの  座るもの  成るもの 見えるもの 鎮めるもの
 ホトケとは輪廻から解脱して別の世界へ往ってしまうものである。
 ホトケとは修行してなるものである。
 欽明天皇に渡された仏像は金属製であった。煌びやかであった。
 美しい姿の半跏思惟像など。
 ホトケが蕃神や他国神と認識されていたころには、国神と同様に祟りものとされていた。
 ホトケを理解した聖徳太子の時代以降は、祟ることはなくなった。
 観音(慈母観音)地蔵尊(ういういしい僧の姿)、不動尊(懲罰神・怒れる父親像) 
 心身一如


2.共通 
巡礼と蘇り
 庶民の巡礼  
 四国八十八遍路巡り  故郷を追われた者、業病を背負うもの、罪障の消滅を願う者、暗い情念を感じる、現世拒否の姿勢。終わりのない円運動、行き倒れ、四国という島の中限定。  
 西国三十三観音道場巡り  現世利益追求、現世的祈祷、現世幸福と来世安穏、現世順応的、外部世界に開かれた円運動。坂東 秩父。
 遊行と漂白  渡世人、パイロット、ジプシー、人類学者、船乗り。
聖者の巡礼 カミやホトケに出会う
 千日回峰 死への進入、死からの脱却、カミやホトケとの邂逅。
カミの巡礼
 天照大神の巡行、八幡神の島流し、聖徳太子の伊予、空海の山岳修行。
 
 巡礼を達成しカミやホトケに出会った後には心身の蘇りを確信する。


3.神仏習合  似たもの  
 日本文化は常に外来文化の刺激によって発展して来た。宗教も同じ。  
 自然と共に存在し 素朴な心 正直な心 に基づく信仰は共通。草木国土悉皆成仏。  
 神道の自然信仰(例、大物主、一言主)の神威の衰え。雄略天皇紀に見える。  
 神仏習合の前に 神神習合があった 部族と神は婚姻や統合で、神々も統合。仏も蕃神・他国神。  
 「古来からの神への信仰と仏教信仰が融合・調和すること」を言う。本地垂迹。  
 八幡、新羅国神 これらの渡来神は土地に縛られず、仏と同様に遷座ができる。  
 民間ではは祖先崇拝を共有し、仏教が受け入れられた。  
 豪族間の争いで氏族の統合。祖神信仰の押しつけは不可。普遍的な仏教で再編成。

本地仏  
 宇佐八幡   阿弥陀、釈迦、不動  
 住吉四神   薬師、阿弥陀、大日、聖観音  
 伊勢内宮   胎蔵界大日 大日如来の理性の面を現した世界。  
 伊勢外宮   金剛界大日 大日如来の、全煩悩を打ち破る力を持つ智徳の面を表した世界。  
 上賀茂    観音  
 下賀茂    釈迦  
 三輪     大日  
 石上     十一面観音  
 熱田     大日  
 出雲     大黒天
 素戔嗚 備後 牛頭天王
 伊太祁曽神社 阿弥陀如来、地蔵菩薩、弁才天
                                  以上

 参考文献
 山折哲雄『神と仏』講談社
 義江彰夫『神仏習合』岩波新書
 鎌田東二『神と仏の精神史』春秋社
 清原貞雄『神道史』厚生閣書店

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