Uga ネコ

1 ネコ科


 ネコ科動物とは、体の大きなライオンから、体の小さなイエネコまで、37種を含むグループのことです。この動物たちの祖先はミアキス (Miacids or Miacis) です。ミアキス、約6,500万前〜4,800万年前に生息した小型捕食者です。
 
 ミアキス   ーライオン
         ヒョウ
         ジャガー
 
        ー トラ
 
        ーシリアヤマネコーイエネコ=現在のペット猫
 
        ーベンガルヤマネコーツシマヤマネコ
 
                 ーイリオモテヤマネコ
                 ―オオヤマネコ
 
  虎を各地域に分けようとしたが、日本は小さい国ゆえに虎の小さいものとして猫が来たという。ネコは禰古萬(ネコマ)とよばれていた。小動物をコマと言い、昼間でも寝ているのでネーコマとよばれ、のちにマが落ちてネコとなった。
 猫は年に三回子を産む  4−5匹 1歳になれば生む すごい増加。  野良猫多い。


 
 

2 日本の猫(イエネコ)の歴史

 4万ー3千年前、旧石器から縄文時代の遺跡からオオヤマネコが出土しているが、これは絶滅したようだ。
 長崎県壱岐市のカラカミ遺跡でイエネコのものとされる骨が発掘された。今からおよそ2100年前、弥生時代からすでに日本には猫が存在していたという説が濃厚になりました。出土遺物は石器のほか、鉄製の銛、釣り針、鎌、鉄鏃(てつぞく 矢じり)、槍鉋(やりかんな)などの鉄器が出土している。そのほか、多数の動物遺体が出土しており、家畜としてのイヌ、ネコ、ウマのほかドブネズミ、鳥類、漁業対象である魚骨、クジラ、イルカ、アシカ、シャチなどが出土している。貝類ではカキ、アワビ、サザエ、オキシジミが出土しているほか、ウニの殻も出土している。
 古代日本の猫は現在のような愛玩目的ではなく、貯蔵していた穀物をネズミや昆虫から守る役割を果たしていたようです。
 古代の高床式倉庫の場合、柱にネズミ返しを設けてっ防いでいた。
 蚕が鼠の被害にあいやすけ、これを防ぐために猫が飼われていた。
 仏典など紙もネズミに齧られやすいので、寺院などでは放し飼いをしていた。
 飛鳥時代から、遣唐使が経典などを持ち帰る船の中に猫を飼い、鼠の害を防ぐとともに、ペットとして船旅のお供をさせたのだろう。


 
 

3.平安時代

宇多天皇 887−897 
仁和元年(885)朝晩猫に餌をやっていた。『宇多天皇禦記』には、唐から来た黒猫を可愛がっていた。天皇の日記によれば、私が黒猫に話しかけると、猫はため息をついて私を仰ぎ見て、感激してむせび泣くようにしたが、口では何もいうことができなかった。
この猫は大宰府次官の源精(クワシ)が光孝天皇に献上、天皇が息子の宇多天皇に与えたもの。どの猫よりも俊敏で鼠をよくとった。

花山天皇 968−1008 花山院 984−986  
和歌 敷島の大和にはあらめからねこ唐猫の、君がためにぞ求め出でたる。義母に当たる昌子内親王の求めに応じて贈った猫につけた和歌である。
平安時代は猫を社交的にやりとりしていたようだ。子を沢山産んだろう。
天皇は気に入った女御に夢中になり、懐妊させたあとも寵愛ひとかたならず、ついに女御は死んでしまった。天皇は仏教に深く傾倒しており、世を捨てたいと思うようになっていた。そこへ一緒に出家しましょうと立候補した臣がおり、頭を丸めたが、臣は家族に別れを告げてくると言い残したままトンズラ。天皇は出家したら、神事ができず、退位。まんまと騙されて退位した天皇となった。
熊野古道に、花山天皇を象った牛馬童子像がある。像になっても、首を切られたり、さんざんな目にあっている。

菅原孝標の女 1008-  更科日記
治安二年 1022 桜の季節、菅原孝標の女と親しかった藤原行成の女15歳で亡くなった。彼女の和歌を讀んだ悲しんでいた。5月、どこからかかわいい猫がやってきた。汚い餌は食べなかったので、高貴な家の猫だと思った。この猫を菅原孝標の女 姉妹が飼っていた。なついて姉妹の傍で寝ていた。飼い主が探しにくるかも知れないと、隠して飼っていた。姉が病気になり、夢の中で猫は藤原行成の女と名乗った。それからは、猫を一層可愛がり、「大納言行成の姫君」と呼ぶと、いつも傍にやってきた。後、家が火事にあい、紐で繋がれていた猫は焼死したという。

一条天皇980−1011 花山天皇の出家のあと、七歳で即位。親の縁は薄かった。 
 飼い猫の名前が『枕草子』にでている。天皇のおそばで飼われている御猫は従五位下(中流貴族の位、昇殿が許される)で、命婦の御許 と名付けられた。命婦は五位の女官
愛猫が子を産んだので、産養(うぶやしない)を行った。その夜、三日目、五日目、七日目、九日目 祝宴と贈り物を持ちよる。藤原道長らが参加。お笑いの話として後世に伝わる。
本来、天皇は産養には参加しない。お産は穢れとの考えからである。御剣を贈って寿ぐだけである。

空海 『三経指帰』 始めは鼠上の猫のごとく、終わりは鷹下の雀なり。猫が鼠の天敵である。

四天王寺 太子堂 四天王寺の聖霊院(太子堂)虎の門と猫の門 猫の彫り物がある。近くには、守屋祠がある。 昔は左甚五郎作の猫で夜な夜な抜け出して難波界隈ウロウロするので網を被せてあったらしい。

東寺の七不思議のひとつ、魔所と呼ばれた。「猫の曲がり」外構に猫を彫り付ける。
「猫の曲がり」は、東寺の境内を囲う築地塀の東南角に位置していた。 江戸時代より以前、猫は貴人や僧侶などしか飼えない高価な動物だった。




4.猫を祀る神社

唐猫社(からねこしゃ)長野県上田市
霊諍山 長野県修那羅峠 猫神の石像が祀られている。養蚕の守り神。

 猫神神社 鹿児島市 島津義弘が文禄・慶長の役の戦いで、正確な時間を測るため朝鮮半島に7匹の猫を連れて行ったという逸話があります。2匹を連れ帰ったので、神として祀った。

八海山尊神 新潟県南魚沼市 猫の絵柄の入った護符をもらう事ができる

猫神社 宮城県石巻市 土地柄、漁業が盛んで、漁師たちはその日の天候や漁の良し悪しを猫の行動から予測していました。ある日、漁で使う網をつないでおくための岩を削っていたところ、崩していた岩が1匹の猫にあたり死んでしまったのです。かわいそうに、と思った総元締めが、猫をねんごろと名付け葬ったのが今の猫神社といわれています。


参考文献
『もののけと神道』武光誠 河出書房新社
『猫づくし日本史』武光誠 河出書房新社

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