ヘイ21.4  神奈備
西暦セイレキ        ヒガシアジアのできごと         倭国ワコクのできごと   社会シャカイ特長トクチョウ
320 トウシン王朝オウチョウ  
340 半島ハントウ百済クダラ新羅シラギ建国ケンコク  
360 仁徳ニントク倭国ワコク半島ハントウ介入カイニュウ開始カイシ 帝国テイコク主義シュギ
364 百済クダラジンクテイ、倭国ワコクとの通交ツウコウネガう。(神功ジングウ 佐紀サキ古墳コフングン造営ゾウエイ
366 倭国ワコク宿ヤド使者シシャ百済クダラオクる。(神功ジングウ  
367 百済クダラ新羅シラギ倭国ワコク朝貢チョウコウする。新羅シラギ百済クダラ貢物ミツギモノウバう。新羅シラギめる。(神功ジングウ  
369 百済クダラ連合軍レンゴウグン新羅シラギヤブる。(神功ジングウ ウマ古墳群コフングン築造チクゾウ
372 百済クダラショウオウ、クテイらをツカわし、7カタナ1クチ7カガミ1メンケンる。(神功ジングウ  
375 キョウヤッコ大陸タイリク侵入シンニュウ、フンゾクヨーロッパへ移動イドウ ゲルマン民族ミンゾク大移動ダイイドウ
382 新羅シラギ朝貢チョウコウしないので、オソヒコをして新羅シラギめる。(三国サンゴク 大和ヤマト河内カワチ交通路コウツウロ
391 倭国ワコクグン渡海トカイして百済クダラ新羅シラギヤブり、臣民シンミンとなす。(高句麗コウクリ好太王コウタイオウ 葛城カツラギ台頭タイトウ
392 百済クダラシンオウコクレイシッしたのでコロされハナオウつ。(応神オウジン  
396 高句麗コウクリ好太王コウタイオウ百済クダラめ、北部ホクブ領土リョウドとする。(高句麗コウクリ好太王コウタイオウ 古市フルイチ古墳群コフングン築造チクゾウ
397 百済クダラハナオウコクレイシッしたので倭国ワコク百済クダラ侵攻シンコウ3クニ  
400 好太王コウタイオウ、5マン大軍タイグン新羅シラギオクり、倭国ワコクヤブる。(高句麗コウクリ好太王コウタイオウ 5オウ系譜ケイフ
420 好太王コウタイオウ建立コンリュウリュウユウソウ建国ケンコク 仁徳ニントクボツ  ┏━━┓
425 オウサンソウケン使  サン   チン   サイ
430 オウソウケン使       ┏━━┫
438 オウチンサンオトウトソウケン使アンヒガシ将軍ショウグン       興   武
443 451,460 オウサイソウケン使アンヒガシ将軍ショウグン  
462 百済クダラガイオウオトウトコンオク オウコウソウケン使アントウ将軍ショウグン 応神オウジン仁徳ニントクアサ
471 埼玉サイタマケン稲荷イナリヤマ古墳コフン ワカタケル大王ダイオウ文字モジ  ┏━━┳━━┓
475 百済クダラ高句麗コウクリカンヤマシロとされ、クマカワ遷都セント  チュウ 反正ハンセイ マコトヤスシ
478 オウコウオトウトソウケン使アントウ将軍ショウグン       ┏━━┫ 
491     河内カワチ政権セイケン 断絶ダンゼツ        安康アンコウ 雄略ユウリャク
1.2ハシラ皇祖コウソカミ存在ソンザイについて。祭政サイセイ一致イッチジュジュツ王権オウケン時代ジダイ王権オウケン交替コウタイがあった証拠ショウコ
  天照大神 初期ショキ大和ヤマト王権オウケン皇祖コウソカミ崇神スジン天皇テンノウ御殿ゴテン天照大神マツられていた。卑弥呼ヒミコダイ記憶キオクしていた時代ジダイ
  コウスベラギサン霊神レイジン 九州キュウシュウオオマツられている。コウスベラギサン霊神レイジン天地アメツチユウヅクリしたカミテンダカ大物オオモノシュコトダイシュなど八十万ハチジュウマンカミ帰順キジュンさせた。河内カワチ王権オウケンカミ
香春神社 を参照下さい。
2.イキナガアシヒメ炭坑タンコウフシ
 カオハル神社ジンジャ祭神サイジン、辛國息長大姫大目命、忍骨命、豊比賣命。 宮司グウジアカツル
  大目命 『豊前国風土記』に、「鹿春の郷 昔、新羅の国の神が自分で海を渡って来着いて、この河原に住んだ。鹿春の神と云う。」とある。
  忍骨命 八幡ハチマンカミホマベツメイとして降臨コウリンしたカミ。『宇佐託宣集』に、「辛国の城(き)に始めて八流の幡を天降りして、吾は日本の神となれり。」と
  トヨ比売ヒメメイ 地元ジモトカミチカくにゲンヒト神社ジンジャ鎮座チンザ、阿加留比売のことかもれない。
  カオハルタケ1ヤマ2ヤマ3ヤマナラび、2ヤマドウ産出サンシュツした。ミヤ八幡ハチマンミヤトヨ比売ヒメ」が鎮座チンザ宇佐ウサ八幡ハチマンミヤカミカガミ奉納ホウノウした。大仏ダイブツドウはここから。
3.ウチ宿ヤド活躍カツヤク
  ウチ宿ヤドハハ山下ヤマシタカゲヒメカゲヒメマツ神社ジンジャキタ九州キュウシュウのみに鎮座チンザクニにはない。ウチ宿ヤド武雄タケオ温泉オンセン生誕地セイタンチ
  武内宿禰をとする氏族シゾク(八多、許勢、蘇賀、平群、木、久米、葛城)は神功陣営。ショケンクン同調ドウチョウ
4.応神オウジン仁徳ニントク 同一ドウイツ人物ジンブツセツ。よく伝承デンショウがあるということ。
 A.名前ナマエ交換コウカン
応神オウジン 敦賀の気比神宮(伊奢沙和気大神)に詣でて神と名前を取り替える。
仁徳ニントク 仁徳天皇が生まれた日にミミズクが産殿に飛び込む。同じ日に、武内宿禰の妻が出産した産殿にミソサザイが飛び込む。
そこで鳥の名を交換して仁徳天皇は大鷦鷯(おおさざきの)尊と名付けたとあります。ウチ宿ヤド平群ヘグリ宿ヤド
 B.皇位コウイ就任シュウニンとライバルの死亡シボウ ヒガシ二人フタリ兄弟キョウダイ
応神オウジン 菟餓野で赤い猪が飛び出してきて香坂王は喰い殺され、忍熊王は住吉・宇治川と転戦し、騙されて近江で水死。
仁徳ニントク 菟道稚郎子は大山守皇子を宇治川で船に乗せて転覆させて水死させます。その菟道稚郎子は自殺。
 C.カミナガヒメい。
応神天皇が日向の諸県君牛諸井の娘の髪長媛を召した所、皇子の大鷦鷯尊が横恋慕、それと知った応神天皇
は宴会を催してその席で髪長媛を皇子に賜った。
 D.クニウタ。「ヒン御子ミコオオスズメ」の解釈カイシャク  ヒンぎの御子ミコオオスズメサマ御子ミコであるヒン様即ち大雀様
応神オウジン 品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本剣 末ふゆ ふゆ木の すからが下樹の さやさや
この太刀タチ7トウか。イシウエ神宮ジングウ国宝コクホウ下記カキ解釈カイシャク吉野ヨシノ裕子ユウコインヨウ5日本ニホン天皇テンノウ
大雀の佩刀の太刀は、元の方は普通の剣ですが、その先の方は、幾條にも刃が岐れています。
丁度、冬の裸木の枝のように、その幹の下枝の六枚の刃が、物に触れてはサヤサヤと鳴ります。
石上神宮の七支刀は神功皇后五十二年に百済が我が国に奉った七枝刀・七子鏡のうちの刀。
5.それぞれの宮殿キュウデン
応神オウジン 『記』軽島の明宮。奈良県高市郡に比定。『紀』難波の大隅宮。亡くなったのは明宮。一説には大隅宮。
八十80シマナカカルシマがあり、アカ比売ヒメマツられていたのでメイシマ(あかるしま)。みはマドカセツ鶴橋ツルハシ近辺キンペンか。
大隅オオスミミヤスミ住吉スミヨシのスミ、最初サイショ住吉スミヨシ3カミ鎮座チンザ場所バショ神社ジンジャ御旅オタビトコロ
吉備から来た妃の兄媛が難波の大津から故郷に船出をするのを宮殿の高殿に登ってその船を見送った。
仁徳ニントク 高津コウヅミヤ高津コウヅとは難波ナニワ見下ミオろす場所バショ
仁徳天皇と皇后の八田皇女が高殿に登って暑さを避けた時、菟餓野(梅田ウメダ近辺キンペン)から鹿の鳴き声が聞こえた。
孝徳天皇は、「上古の聖王の跡に従い、天下を治めよう。」として、難波長柄豊碕宮に宮殿を造った。
6.治水チスイオウ仁徳ニントク天皇テンノウ土木ドボク工事コウジ
全て河内湖に流れ込みます。その割には海へ流れ出す水路は上町台地の先端部分と千里丘陵との境にしかなく、
長雨はあれば、河内湖周辺と川沿いの陸地は水没します。田畑としても都合が悪かった。
これを解消するべく、難波江なる運河を掘りました。現在の大川です。茨田の堤(淀川が大隅島の東を南に流れるよう
する)や横野提( 旧大和川の流れを上町台地の東に沿うように流す)を築きました。
これで河内湖周辺の湿地帯が稲作のできる水田になり、生産量も増加してきた。これらを背景に5世紀後半に難波堀江
の南側の高台に巨大な倉庫群が築かれました。
7.世襲セシュウ王権オウケン確立カクリツ
 河内に政権が誕生して応神・仁徳・履中で3代目となります。徳川幕府でも3代目の家光になると「生まれながらの将軍」
と云うことになります。世襲も安定してくるのです。家光は鎖国政策でしたが、河内政権の3代目履中は宋へ朝貢した最初
オウとなります。倭王讃。
8.応神オウジン仁徳ニントク天皇テンノウリョウ
河内カワチ王権オウケン古墳コフン河内カワチ造営ゾウエイされています。古市フルイチ百舌鳥モズフタつの地域チイキ順次ジュンジ造営ゾウエイされたといいます。
現在ゲンザイ履中リチュウリョウとされている古墳コフン仁徳ニントク天皇テンノウ時期ジキにあいそうです。ウエイシミサンザイ古墳コフンこそ仁徳ニントクリョウでしょう。
−−−九州北部の地図と地名−−−『邪馬台国の東遷』から
7トウイシウエ神宮ジングウ所蔵ショゾウ
  大鷦鷯天皇御世
    達倭賀布都努斯神於石上御布瑠村高庭之地
 博多湾     /
   −−−−−−/
        曾我   履中リチュウリョウ
    平群    羽田
 背振山地
=======  I
        ==I基肄
武雄  巨勢   I葛木
    −−−−−+−−−筑後川        
  有明海
履中リチュウリョウ
古墳群コフングン分布ブンプ 古墳コフン時系列ジケイレツ