手向けと憑き

1.有間皇子の手向け

系譜

舒明天皇      ┏中大兄皇子 皇位継承候補
     ┣━━━╋間人皇女(孝徳妃)
皇極天皇      ┗大海人皇子
     ┏ (斉明)
茅渟王 ┫
     ┗━━━孝徳天皇━━有間皇子 皇位継承候補


『日本書記』から年表を作る。

640 舒明12年 有間皇子誕生 1才
641 舒明13年 舒明天皇崩御、皇極天皇即位
645 皇極四年 乙巳の変 蘇我入鹿、蝦夷死亡 孝徳 天皇になる。
649 大化五年 左大臣・阿倍倉梯麻呂死亡(有馬皇子の母方の祖父)
653 白雉四年 中大兄皇子、飛鳥河辺行宮へ移る。孝徳天皇失脚、一種のクーデター。
654 白雉五年 孝徳天皇没する。有間皇子15才。斉明天皇重祚
657 斉明三年 有馬皇子18才。狂人を装う言動をして牟婁の湯へ行く。(白浜温泉)
658 斉明四年 天皇、中大兄皇子ら、牟婁の湯へ行幸。
蘇我赤兄が有間皇子に近付き、斉明天皇の失政を非難、仲間と思わせた。
皇子は喜び、斉明天皇と中大兄皇子を打倒するという意思を明らかにした。
有間皇子は赤兄の家の高殿に登った。その時床几がひとりでに壊れた。
蘇我赤兄が有間皇子を拘束し、中大兄皇子に密告。
11月9日 西牟婁の湯に連行され、中大兄皇子の尋問を受けた。
「天與赤兄知。吾全不知」と答えた。
11月11日 海南市の藤白坂で絞首された。
古墳は御坊市の岩内古墳と言われている。
 白浜ー海南市は直線距離で80km、山あり谷あり川ありの古道を歩いて倍と見て160km、これを40時間でで歩くとすると、時速4km、なんとか歩ける距離だが、それほど頑張って歩く理由が見あたらない。皇子の命を取るのが先決だから、白浜から適当な所で死んでもらえればいい。御坊は陰謀に加担していた塩屋連[魚制]魚(コノシロ)の本拠地であり、御坊はもちろん磐代にに到るまでの処刑したのだろう。塩屋一族に遺体を授けたものと思われる。



万葉集

有間皇子が牟婁の湯に連行されていく途中で詠んだとされる。

有間皇子の自傷(かなし)みまして松が枝を結びたまへる御歌二首
0141 磐代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまた還り見む
磐代 日高郡印南町 土地の名を出すことで褒めて旅人が安全を願う。
松が枝を結ぶ 結ぶことで自分の魂を封じこめ、再びその場所まで戻ることができる祈願
あ幸くあらばまたかえり見む 「見む」は希望・推量。結び目が解けない祈り。

 『御伽草子』 清和天皇の頃、内裏に小町という色好みの遊女あり。
 松は待であり、遊女の隠語となっている。これは町にも使われた。
 歌謡141は、有間皇子が連行されていく途中に添い寝した遊女には、帰りにもあえるだろうか。の意味にとれる。
0142 家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
椎の葉に盛る 神への手向け。

約半世紀後に皇子を偲んで詠まれた和歌
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、結び松を見て哀咽(かなし)みよめる歌
0143 磐代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも
松の枝を結んだ人は無事に帰って来て見たのだろうか。海南市で処刑であれば、帰りにも見ているはず。

山上臣憶良が追ひて和(なぞら)ふる歌一首
0145 鳥翔(つばさ)成す有りがよひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
皇子の御魂は天空を飛び通いながらいつも御覧になっているだろうか。松は知っている。

柿本朝臣人麿ノ歌集ニ云ク、大宝元年辛丑、紀伊国ニ幸セル時、結ビ松ヲ見テ作レル歌一首
0146 後見むと君が結べる磐代の小松が末(うれ)をまた見けむかも
結び目を有間皇子が再び見ることなく終わったのだろう。


2.手向け 神は祀らなければ祟る。祀っても幸運を与えるものではない。

(1)行路安全祈願

昔の旅人の行く手を阻み苦しめたのは、難所、飢え、病、害獣、賊に加えて、行路を妨害する神々。
ヒダル神など。行路妨害の神霊に儀式をしながら旅を続ける。その儀式が「手向け」である。

万葉の中の手向け
夏四月(うつき)、大伴坂上郎女が賀茂の神社(かみのやしろ)を拝(をろが)み奉る時、相坂山を超え、
近江の海を望見(みさ)けて、晩頭(ゆふへ)に還り来たるときよめる歌一首
1017 木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむけ)の山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ吾等(あれ)
賀茂神社参拝途中、逢坂山を越えて近江の海を見て帰る時の歌。
木綿畳 生地を重ね合わせたもの。手に持って神に供える。
いづれの野辺に廬りせむ 不安を詠むが、実際には野宿せずに帰京したとされる。

3151 よそのみに君を相見て木綿畳手向の山を明日か越え去なむ
遠くから逢うだけで 手向け山を 明日は越えていってしまうのか

太宰の大監大伴宿禰百代等が駅使(はゆまつかひ)に贈れる歌二首
0567 周防(すはう)なる磐國山を越えむ日は手向(たむけ)よくせよ荒きその道
荒きその道 手向けされるべき行路妨害する神霊のいます道 荒ぶる神の坐す道


(2)再会を祈願する

恋人・家族に逢うことを詠み込む歌

長屋王の馬を寧樂(なら)山に駐(とど)めてよみたまへる歌
0300 佐保過ぎて寧樂の手向(たむけ)に置く幣(ぬさ)は妹を目離(か)れず相見しめとそ
長旅にさせないで早く帰って妻にいつも逢えるようにして下さい。

3128 我妹子を夢に見え来(こ)と大和道の渡り瀬ごとに手向そ吾(あ)がする
渡り瀬とは境界であり、異境への入り口。ここで夢で恋人に逢えるように手向けする。

2418 いかならむ名負へる神に手向(たむけ)けせば吾(あ)が思(も)ふ妹を夢にだに見む
何という神に手向けをすれば、恋い慕う妻に夢の中で会えるだろうか。

田口廣麿が死(みまか)れる時、刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)がよめる歌一首
0427 百足らず八十(やそ)の隈坂(くまぢ)に手向(たむけ)せば過ぎにし人にけだし逢はむかも
多くの坂の頂上に手向けすればなくなった人に会えるだろうか。


(3)手向けるもの

紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌(みうた) 或ルヒト云ク、山上臣
憶良ガ作
0034 白波の浜松が枝の手向(たむけ)ぐさ幾代まてにか年の経ぬらむ
手向けたものが幾重にも重なっている。

神坂峠(木曽山脈の岐阜と長野の境)での発掘遺物で最も多いのは、玉や剣を象った石製模造品である。
模造品や未完成品がでるのは、それなりの理由がある。
神に十分に礼をつくすというより、むしろその場しのぎの品で、神の矛先をかわし、間隙をぬって通過してしまう、と言う信仰形態だったと思われる。

手向けとは、そなえる品を手にとって、神に向けて置くこと。神は女性がお気に入り、手向けくさを手にとった瞬間に、女性の霊魂の籠もるもの(おなり神としての妹の霊魂)が彷彿として出現する。


3.荒ぶる神々

『播磨国風土記』
賀古郡 この里に舟引の原がある。昔、神崎の村に荒ぶる神があった。いつも通行する人の舟の半分を留めた。やむなく行き来する舟は大津の江にとどまり、川上に上り、カオリタの谷から舟を引いて、赤石の郡の林の潮まで通行させて出した。
   魚住の西は海賊が出るとの噂。魚住から日岡へ行き、加古川を下る。途中、住吉神社が点在。

揖保郡 出雲の大神が神尾山におられた。この神は出雲の国の人でここを通りすぎるものがあると十人のうち五人をとどめ(殺し)、五人のうち三人を留めた。

神前郡 生野とよびわけは、昔この処に荒ぶる神がいて、通行する人を半分とり殺した。
 銀山の鉱毒をいうか。<虬>?坂の地神か。

『肥前国風土記』
神埼郡 昔、この郡に荒ぶる神があった。往来の人が多数殺害された。

佐嘉郡 佐嘉河の川上に荒ぶる神があった。往来の人を、半分は生かし半分は殺した。
 佐賀県大和町 與止日女神社。

基肄郡姫社郷 山道河に西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であった。
 佐賀県鳥栖市姫方町 姫古曽神社

『伊勢国風土記逸文』安佐賀の社
安佐賀山に荒ぶる神がいた。百人行けば五十人を殺し、四十人行けば二十人を殺した。
 三重県松阪市小阿坂町 阿射加神社

『駿河国風土記逸文』 てこの呼坂
その神はいつも岩木山から越えて来る。この山には荒ぶる神で、通行の邪魔をする神があった。
 静岡県富士市 原田公園に碑

『築後国風土記逸文』 国号
昔、この堺の上に麁猛神(あらぶるかみ)があった。往来の人は半数は助かり、半数は死んだ。
 福岡県筑紫野市 筑紫神社

『摂津国風土記逸文』下樋山
昔、大神がいた。天津鰐といった。鷲となってこの山にとどまった。十人行くと、五人は行き去らせ 、五人はとどめら(殺さ)れた。
 大阪府茨木市北部 龍王山

『景行紀』二七年
日本武尊が吉備に至り穴海を渡った。その処に悪(あら)ぶる神が有り、殺した。
また、難波に至る頃に、柏済(わたり)の悪(あら)ぶる神を殺した。

『景行紀』四十年
信濃坂を越える者は、神気を受けて病み臥せる者が多かった。

 『続日本紀』和銅六年七月径道険隘にして往還艱難なり。


4.憑き
憑いてないなー 軽い諦めで絶望から脱出できる。 今度こそは何とかと再生できる。

憑くこと 自然を超越した神秘的なパワー。 人智を越えた非日常的な力。

憑きを呼ぶ方法 神を祀る。 時を待つ。 憑いたら思い切りやる。


憑きの解析
運命は、あたかも、左にころび右にころびながらやって来るもの。数学的には乱数の世界。
運命の重なりが人の憑きに影響しているのではないかとの仮説を立ててみた。

乱数のグラフ 横は時間

ただの乱数。

乱数5個の移動平均のグラフ 横は時間 縦は憑きの度合い

少し傾向らしいのが見える。三段落ち。

乱数10個の移動平均のグラフ 横は時間 縦は憑きの度合い

憑きの様子と似てくる。

金運を憑ける寺社
 京都 西岸寺 油懸地蔵尊 伏見区
 京都 御金神社  市役所の西
 大阪 瀧安寺(りゅうあんじ) 箕面公園 日本最初の富くじ
 奈良 千手院銭亀堂 信貴山

賭事運を憑ける寺社
 京都 藤森神社 深草 菖蒲の節句発祥の地5月5日
 奈良 道祖神社 ばくちに負けて蚊帳を質入れする神
 和歌山 闘鶏神社 田辺市 赤い鶏を平氏、白い鶏を源氏

成功・勝利運を憑ける寺社
 京都 愛宕神社 愛宕勝軍地蔵
 京都 石清水八幡宮 王城鎮護の武神
 京都 白峯神宮摂社精大明神 蹴鞠の守護神 京都市上京区

出会い・恋の運を憑ける寺社
 京都 貴船神社結社 磐長比売 古来より縁結びの神
 京都 地主神社 大国主
 京都 安井金比羅宮 悪縁を切るパワフルな神 だから良縁が結べる
 京都 野宮神社 斎王が身を清めた 源氏物語の舞台 嵯峨野
 大阪 愛染堂・勝鬘院 愛染の霊水 片思いの成就 天王寺区夕陽丘町
 大阪 生国魂神社摂社鴫野神社 淀姫神 淀君 女性の守護神 天王寺区生玉町
 大阪 水間愛染堂 お夏清十郎の墓

一発勝負・受験運を憑ける寺社
 大阪 家原寺 文殊菩薩 堺市西区 ハンカチ寺 行基の誕生家
 大阪 大阪天満宮
 大阪 道明寺天満宮
 奈良 久延彦神社 知恵のかみ 山田のそほど(案山子)
 和歌山 玉津島神社 衣通姫 和歌の神

参考文献
『ツキを呼ぶ  神社・仏閣徹底ガイド』  戸部民夫
『万葉民俗学を学ぶ人のために』 上野誠
『呪術と怨霊の天皇史』歴史読本編