UGA お産


1.縄文の意識
エリアーデ『神話と夢および神秘』 北アメリカの原住民ウマティラ族の予言者スモハラが語った。

 「われわれみんなの母を農作業によって、傷つけたり、引き裂いたり、引っ掻くのは罪だ。わたしに地面を耕せと言うのか。刃物を上げて、私を生んだ母の胎に突き立てる事が、わたしにできるだろうか。もしそんなことをすれば、わたしが死んだときに、彼女はもうわたしを二度と、自分の胎内に受け入れてはくれないだろう。鋤で掘り起こし、石を取り除けと、わたしに言うのか。母の肉を害して、骨を剥き出すことがわたしにできようか。もしそんなことをすればわたしは、また再び生まれてくるために、彼女の身体の内に入ることが、できなくなってしまうだろう。わたしに干し草にする草を刈り取りそれを売って白人達のように金持ちになれと言うのか。自分の母の髪の毛を切り取るようなだいそれたことが、どうしてわたしにできるだろうか」。

 このような考え方は、アイヌやモンゴルの遊牧民の中に生きている。

『日本書紀』神代紀下巻から
葦原中國は、螢火のように光る神や、蝿のようにさわがしいな好ましからざる神がいる。草木も皆よくものを言う。
 ガイアと対話をし、ガイアに包まれて生活する古代人の知恵を思わせる。


2.縄文と貝文
 縄文時代の土器には、縄を押しつけて縄文模様をつけたものや、粘土を縄状にして絡めて土器の表面に張り付けたもの、貝殻を押しつけたものなどがある。

 縄文は蛇の交合を表したもので、不死と再生を願った模様である。貝はホトであり、同じ願いによってつけられたのであろう。
 土器を使用する度に、集落と家族の安寧を願い祈っていたのだろう。
 縄文は注連縄として現在まで伝わっている。

3.月と水
 中国の古い伝説には若返りの仙薬の話が幾つもあり、『淮南子』には、姮娥が西王母の「不死の薬」を盗んで月の世界に走った話がある。
 よく似た話は世界中にある。フレイザーは死の由来話を分類して、蛇など脱尾する動物にからむ「蛇と脱尾」型と、月の満ち欠けを人の死の由来を結びつけて考えた「月盈虚」型に分けている

 宮古島の伝承 アカリヤザガマが変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで人間界に来た。「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもり。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。
万葉集
 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも(3245) ー天上への橋は長くあってほしい、高山も高くあってほしい、月読の神の持っている若返りの水とってきて、あなたにさしあげて若返ってほしい。ー
反歌 天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(3246)

 興福寺南大門にも月輪山(がつりんざん)の山号額を掲げていたが何故か、しばしば魔障が起こり、風も無いのに樹木が倒伏し、水が突然噴出して大穴を開け、石垣を崩壊したので、山内大いに困惑していると、ある僧の霊夢に「月の字は水に縁ある為なり」とお告げがあり、困り果てて額を取り下げると、不思議にその後何も起こらず事なきを得た。

 甕に蛙がへばりついている。水。この甕の水は月からの贈り物と考えられていた。

4.月の満ち欠け
 蛇は変若水を浴びたとされるように、不死と再生を体現した。蛇は月の遣いとして、身ごもりをさせている。蛇は男根を象徴している。月は生み出すものの象徴であり、地母神であり、子宮でもある。
 海の満ち引きは月の行うものであり、月は水を支配する。さらに、夜露は月がもたらすものと思われた。月の水が大地にまかれ、植物や動物が生まれるとされた。
 月は天空の大地母神として、地上を支配していた。

 山姥伝承が各地に残っている。釜風呂に入っているあいだに蓋をされて、重石を置かれて焼き殺された山姥の死体から人参ができた。
 また、血だらけになった風呂水を草地にまくと、そこに蕎麦ができた。
 縄文人は、この山姥を女神として、顔面把手付き深鉢や土偶として祭り、祈った。後の世に、殺さて有用な植物ができる話しとして、『記』大宜都比賣命、『紀』保食神 の物語として記録された。


5 ランプは顔面付釣り手土器

   土器の内側に獣脂の燃やしたような煤がついている。
 火は女神の腹の中にある。女神は命をかけて人類のために火を産む。
 腹の中の火がホトからでてくる。オセアニア、東南アジアの古い神話に多い。
 土器の後ろは 髪や鼻が蛇でできている恐ろしい顔、黄泉の国の女神のイザナミである。
 イザナミがカグツチを生み、冥界の女神の姿になった神話の姿をあらわしている。

6 出産土器・妊婦土器

蛇       妊婦と棒

 女が妊娠すると、まず土偶を造る。それを安置して、腹の子が無事に産まれることを祈る。

縄文のビーナス

出産にともなう苦痛や死の恐怖は土偶が身代わりになる。願いがかなって無事に出産すると、土偶に宿った霊を断ち切るべく、叩き割る。散乱状態で発見される。

子持ちのビーナス

 流産や死産だった場合、一部を打ち欠いて穴の中に埋める。(『日本の古代4 縄文・弥生の生活』(後藤和民)
 出産は地母神の真骨頂である。

 山姥に多産伝承がある。
 大昔、小山祇命が猟にでかけたが不猟続きであった。ある岩陰に来るとそこにはお産で小腹を、病んで苦しがっている山姥にであった。山姥は命に「水をのめば楽にお産ができるから水を汲んできてくれまいか」と頼みました。命は「猟に恵まれていないので、人様のことどころではない。」と断って行ってしまいました。
 中山祇命も同じく断って行ってしまいました。
 大山祇命は、苦しんでいる山姥の言う通り、水を汲んで飲ませてやりました。山姥がお産を始めると、赤子を一人一人取り上げて大声で名前を付けてやりました。この時は一度に七万八千人の赤子を取り上げました。山姥はお礼に、もう一つ向こうの谷に鹿がたくさんいると教えてくれましたので、大山祇命は二頭の鹿をしとめて帰りました。
 『古事記』
 すべて伊邪那岐・伊邪那美の二(フタハシラ)の神、共に生みし島は、壱拾肆島(トヲマリヨシマ)、神は三拾伍神(ミソヂマリイツハシラ)。多くの神々を産んでいる。
 『日本書紀』巻十九欽明天皇二年
 蘇我大臣稻目宿禰女曰堅鹽媛。生七男。六女。 古代の多産ナンバー1である。

7 火中出産 高知県長岡郡の山姥伝説
 奥平野の山の中腹の岩屋で、山姥がお産をしていた。奥平野の人がこれを知っていながら、焼き払おうとした。山姥はもう三日待ってくれと頼んだが、それをかまわず焼き殺してしまった。その時山姥は奥平野は焼け野原にしてやると行った。明治になってからも十年目ごとに三回も全焼した。
大山祇神社 高知県香美郡香北町奥西川 大城谷
 ご神体は山姥の頭蓋骨  オオヤマツミの正体は山姥

 『古事記』 木花咲夜比売
戸無き八尋殿(ヤヒロドノ)を作りて、その殿の内に入り、土(ツチ)以(モ)ちて塗り塞(フタ)ぎて、産む時にあたりて、火をその殿につけて産(ウ)みき。故(カレ)、その火の盛りに焼(モ)ゆる時に生みし子の名は、火遠理命(ホヲリ)、亦の名は天津日高日子穂穂手見命。
 山幸彦であり、皇祖である。

 『古事記』 沙本毘売
ここに答へて白(マヲ)さく、「今、火の稲城(イナキ)を焼く時に当りて、火中(ホナカ)に生れましぬ。
かれ、その御名(ミナ)は本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と称(マヲ)すべし」とまをしき。
 本牟智和気命は継体天皇の五世前の祖。応神天皇とされているが、品陀別とは発音が違う。いずれにしても皇祖である。

8 縄文人の意識
 縄文時代が終わり弥生・古墳・奈良と時代は移り変わった。北海道ではこの千年は続縄文と呼ばれる時代が続いていたように、山間部や僻地では縄文の気風が続いていたのだろう。記紀の中にも縄文語(後のアイヌ語)が生きているように、縄文の神話も生きているのである。
 マタギ(又鬼)の風習や信仰にも縄文が生きているように感じる。

参考文献  ナウマン『生の緒』 吉田敦彦 『日本人の女神信仰』  田中基『縄文のメドーサ』

神奈備にようこそ