uga 和泉の古代

1 『垂仁天皇三九年』 垂仁の皇子の五十瓊敷命は茅渟菟砥川上宮にいて、剣一千口を造らせた。
よって、その剣を川上部と云う。またの名を裸伴と云う。
菟砥川上宮 『和泉国名所図会』では、鳥取荘自然田邑の東南 (阪南市自然田)。菟砥川の上流。

この西側に岬町があり、褐鉄鉱の塊がとれる場所があった。鍛冶屋谷と云う。褐鉄鉱の塊は湿原の薦・葦・茅などの根に、球・楕円・管状になった水酸化鉄の団塊が密生した状態を云う。鈴生りとなる。
これを砕いて夾雑物を取り除くと、低質の砂鉄となり、砂鉄と混ぜて製鉄の原料にする。

岬町 鍛冶谷周辺地図

岬町の宝樹寺(別名化石寺)に陳列されている瓜谷石。

2.宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)
南海淡輪駅の南側に五十瓊敷命の陵とされる泉南第2位の前方後円墳がある。墳丘長170m、後円部径110m、3段築成で、後円部を囲むように6基の賠塚がある。この3段築成は、元福井県埋文ンター所長の中司照世氏は「大王家につながりのある人物が埋葬されている。」との説であるが、五十瓊敷命は実在するとして4世紀代と思われる。宇度墓古墳は5世紀中葉から後半の造営と推測されており、宮内庁の指定は当たらない。

『雄略紀九年』 新羅を征討するため、天皇は紀小弓宿禰らを大将軍として派遣した。紀小弓宿禰らは進撃がめざましかったが、陣中で病気になり、薨じたと云う。
紀小弓宿禰の妻の吉備上道釆女大海は小弓宿禰の喪に従って帰国し、大伴室屋大連に小弓宿禰の墓を造る場所を相談し、室屋は天皇に申しあげた。天皇は紀小弓宿禰を称えて、視葬者を派遣し、大伴卿と紀卿は同じ国の近い隣であると云われ、淡輪邑に墓を造らせて葬った。
天皇が視葬者(はふりのつかさ)を派遣したことは、天皇家と同様の古墳であとなっている証だろう。

和泉の地図

3.日根郡を舞台とした刀剣製作の伝承が、紀氏が招来した韓鍛冶による優れた武器製作を背景にしている。宇土墓造営に力を発揮した大伴室屋に紀小弓の妻は韓奴六口を贈った。吉備の勢力は同時期に造営された造山古墳・作山古墳の巨大さに、強大さがしめされている。さらに吉備は砂鉄を原料にさらに吉備は砂鉄をした鉄器生産は5〜6世紀には行われていた形跡もある。
吉備から紀氏へ贈られた韓奴は鉄器製作の工人であって、ある時期、和泉の地で鉄器製作に従事したのだろう。真弓常忠氏は五十猛神を韓鍛冶が奉じた神と見ておられる。

ほかに5世紀前半の西陵古墳(墳丘長220m、後円部径110m)や5世紀中葉の西小山古墳(径50m)が南側にあり、宇度墓とともに円筒埴輪は須恵器のように堅い焼きで、底の外側が凹んでいるとの特徴があり、これを淡輪技法とよんでいるが、紀伊の方へ山を越えた木之本古墳郡にも見られ、紀 の川北岸との文化の共通性が認められる。

4.紀氏
『和泉国名所図会』 の淡輪の条に紀氏にかかわる伝承地が書かれている。
 小弓宿禰墓  淡輪邑の東南にあり。方一町許。周知に水をたたえる。
 上道大海墓  同村の西南にあり。小弓宿禰の妻なり。
 紀船守墓   淡輪村の西にあり。船守は雄人の子。桓武天皇の寵臣なり。
船守神社が鎮座している。紀船守、紀小弓宿禰、五十瓊敷入彦命を祭神としている。

紀氏は6世紀半ばに紀直(紀国造)と紀臣(中央)に分裂するが、それまでは紀氏集団として倭王権と協力と対立の関係にあった。和泉南部と紀伊にかけて存在していた。
紀氏の歴史
3世紀末頃から倭王権を構成する同盟にに参加していたと思われる。秋月1号墳は古墳時代初期。
この頃は紀ノ川南岸の勢力が紀氏集団全体をリードしていた。これは花山八号墳(4世紀末)の造営された頃まで続いていたようだ。
5世紀になると、紀ノ川北岸から和泉淡輪の勢力が台頭し、西陵古墳、宇度墓、紀ノ川北岸の車駕之古址古墳(金の勾玉)、大谷古墳(5世紀後半から6世紀初め馬冑)の造営がそれを示している。
河内王権になって、朝鮮半島内部の抗争に関与し、紀氏水軍が活躍していた。
475年に百済が一時的に滅びて、外交については、倭王権が全面にでることになる。
5世紀後葉から6世紀前半ごろには、この系列の前方後円墳の規模は縮小し、この勢力は退潮していった。盟友でがあった大伴氏集団の失脚もあり、紀氏集団は分裂し、紀臣となる一族は大和の平群 に移住していった。紀ノ川南岸の紀氏が倭王権との結びつきを強め、紀伊における政治的主導権を握ることになった。

5.和泉での紀氏と同族の氏族
(1) 紀朝臣・紀角宿祢を祖とす。皇別。
坂本朝臣  和泉郡坂本郷 和泉市 泉北高速和泉中央駅の北坂本町
布師臣   和泉郡八木郷 岸和田市池尻町付近 JR久米田駅付近
掃守田首  和泉郡掃守郷 岸和田市加守町付近
的臣 紀辛梶臣 大家臣 丈部首

(2)神魂命を祖とする。 神別
和田守首   大島郡和田郷 堺市和田付近 泉北高速深井駅と泉が丘駅の中間の海側
和田首    大島郡和田郷
大庭造    大鳥郡上神郷 堺市片倉 桜井神社付近
爪工連 物部連 高家首 神直 紀直 川瀬造 工首(工首は未定雑性)

(3)大名草彦を祖とする。
大村直   大島郡大村郷 堺市陶器北・見野山付近   陶荒田神社付近
直尻家 高野

6.王権の直轄地
大王といえども、他の豪族の土地に古墳を造営はできない。中百舌鳥や古市古墳群の場所は直轄地であった。和泉は直轄地であった。従って、「県」が設置されていた。茅渟県は大鳥・和泉郡、日根県は日根郡と概ねわけることができる。
茅渟県は陶邑が含まれており、須恵器や塩魚の奉納が課せられていた。
日根県は王室の狩猟場であもあり、獣肉の提供と、紀氏への牽制が目的だったとされている。

              以上


文献  『紀伊古代史研究』栄原永遠男  『岬町の歴史』編集委員会

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