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香春神社宇佐八幡、五十猛尊


1.香春岳
 豊前の香春岳は三つの峯からなっている。炭坑節の一山、二山、三山越えである。一ノ岳には辛国息長大姫大目命、二ノ岳には忍骨命、三ノ岳には豊比当スが祀られている。
この香春神社について、『豊前国風土記 逸文』(鹿春郷)に次のようにある。
 風土記に曰く、田河の郡。鹿春の郷。鹿春の郷郡の丑寅の方にあり。此の郷の中に河あり。年魚がいる。其の源は、郡の東北の方、杉坂山より出でて、まっすぐに西を指して流れ下りて、真漏川に合流する。此の瀬水清し。それで清河原の村と名づけた。今、鹿春の郷といふは訛れるなり。昔、新羅の国の神、自ら渡り来たりて、此の河原に住みき。名づけて鹿春の神と云ふ。又郷の北に峯あり。頂に沼あり。黄楊樹が生えている。また、竜骨(たつの)ほね)あり。第二の峯には赤銅、並びに黄楊・龍骨等あり、第三の峯には龍骨あり。

     昭和初期         現在 第一峯が削られた。

『豊前国風土記』逸文(田河郡)
昔者、気長足姫尊、此の山に在して、遥かに国形を覧て、勅祈ひたまひくしく、「天神も地祇も我が為に福(さきは)へたまえ」とのりたまひて、乃便(すなわ)ち、御鏡を用て、此の処へ安置きたまひき。其の鏡、即ち石と化為りて山の中に見在り。因りてなづけて鏡山といふ。
 この文中の鏡山とは香春岳のことと思われる。

 宇佐八幡宮の放生会は、三ノ岳の南側中腹から出る鉱石によって作られた銅鏡が、八幡神の形代として宇佐の和間浜まで神幸した。現在でも三ノ岳には「採銅所」と言う地名があり、古宮八幡宮が鎮座している。香春神社の元宮ともされる。


2.香春神社
 香春神社の神官三家は、赤染氏二家と鶴賀氏だった。当社の『古縁起』が引用する『伝教大師流記』には、神官の赤染連清が、最澄の入唐に際し、「法華経」を寄進し、一堂を建立したとある。赤染氏について、平野邦雄氏は、「秦氏と同族、または同一の生活集団を形成した氏族で、おそらくは新羅系帰化人」と書き、「香春神は新羅国神であり、秦氏に「祭祀された銅産神であった」と書いている。
 赤染氏は八世紀に常世連に改姓されている。河内に常世岐姫神社が鎮座している。
 田河郡を中心としてこの地域には、秦部、勝など秦氏に隷下にある氏族が圧倒的に多い。香春神の奉仕集団は秦氏などの半島からの渡来人であった。

 元慶二年(878)の『三代実録』の記事に、「詔して、大宰府をして豊前國規矩郡の銅を採らしめたまひき。彼の郡のえだちのたみ百人を充てて、採銅の客作児(つぐのひびと)と為し、先ず潔斎斎戒(ものいみ)して八幡大菩薩宮に申奏しき。」とあり、「風土記逸文」に伝える鹿春峯の銅の産出は企矩郡の銅が香春神の御名に於いて採掘されたことを指し、そして直接採銅に当たったのは秦系集団であったと考えられる。秦系集団が辛島勝を八幡神に禰宜として送っていた。即ち、八幡神は辛島勝が祀る韓国(からくに)の神、素戔嗚尊か五十猛尊であり、大神氏が持ち込んだ大物主神と習合して共通の祖神・素戔嗚尊=八幡神となり、さらに宇佐氏が御許山の姫神信仰を持ち込んで、宇佐八幡神・比売神が形成された。宇佐は須佐のSが落ちた発音と考えられる。

 748年(天平20)9月1日、八幡神は出自に関して「古へ吾れは震旦国(中国)の霊神なりしが、今は日域(日本国)鎮守の大神なり」(『宇佐託宣集』巻二、巻六)と託宣している。


3.辛島氏
『辛島系図』は『宇佐神宮史』に採録されている。
          神奈備の注
素盞嗚尊  
五十猛命
豊津彦 トヨツ   豊の国
都万津彦 ツマツ  宮崎県児湯郡妻町 *都萬神社、五十猛命の妹神に抓津姫あり
曽於津彦 ソオツ  鹿児島県曽於郡
身於津彦 ミオツ  宮崎県日向市美々津町?
照彦 テル
志津喜彦 シツキ  鹿児島県曽於郡志布志町
児湯彦 コユ    宮崎県児湯郡
諸豆彦 モロツ   宮崎県児湯郡諸県郡
宇豆彦 ウヅ    紀氏の系図では宇遅比古の子、山下影姫(武内宿禰の母)の父親
 辛島勝乙目     宇佐八幡宮の禰宜
 日向・大隅の隼人地方の地名であり、辛島氏の古伝に隼人を討伐、辛国神が南九州へ入っていった事が反映していると思われる。その名残が、南九州に大隅八幡宮と韓国宇豆峯神社が鎮座しているとこである。
 天孫降臨の霧島高千穂峰は標高1,574mであるが、韓国岳は1,700mであり、韓国宇豆峯神社の神体山である。宇佐八幡宮と香春神社の関係が大隅八幡宮と韓国宇豆峯神社に対比できる。隼人征討の事件の後に天孫降臨の伝承が形成されたのかも知れない。


4.新羅(秦氏)系神社と神社一般
神社名       神社数      神名      祭神数
八幡宮八幡神社   10,259    応神天皇   14,366
白山・白鬚・白木   3,456    菊理姫     2,693
                    白山神        59
須佐・須賀・素    1,166    白鬚神        39
八坂・八阪・弥栄    2,636    猿田彦      3,634
新羅            19   素戔嗚尊    13,447
伊達・伊太祁・五十猛    30   五十猛尊       329
兵主(中国系の意見もある) 38   天日槍命         7
比売許曽           7   赤留比売        11
新羅系神社小計   17,611   高皇産霊     1,051
          (14.6%)  新羅系神合計  36、036

稲荷神社       8,189   倉稲魂     11,313  
新羅系神社合計   25,800   保食神      3,025
          (21.4%)  豊受・宇賀     3,174  17,512

                   大国主神    10,931
                   事代主神     3,385
*鴨*           57   味鋤高彦根神     277
物部            17   饒速日尊       201  
諏訪神社       3,124   建御名方神    6,641
伊勢・神明神社    5,366   天照大神    13,452
えびす神社      1,288   蛭子         689 事代主一部                   
宗像神社          90   市杵嶋姫     3,210
春日神社       1,424   天児屋根命    3,127 
日枝・日吉・松尾   2,840   大山咋      2,850
賀茂・加茂        530   賀茂建角身      106
賀茂別雷         789
神社本社摂社合計 120、404            


5.新羅系について

 日本の神社に新羅系の神が比較的多いのは、白村江以降の半島は新羅が統一し、所謂統一新羅の国名で半島の様々な事が語られたからと思われる。
  八幡神は新羅系の辛島氏が主宰した神社であり、平安時代に祭神が応神天皇になるまでは、八幡神として渡来系の神として鎮座していた。新羅神を祀る神社としては新羅神社・白木神社などと白山を開いた泰澄が新羅系であり、白山神社や頭に「白」がつく神社を新羅系に算入した。また、五十猛・兵主神・天日矛、赤留比売などの新羅と関わりのある神をピックアップした。悩ましいのは秦氏が祀った神社であり、とくに稲荷神社は日本古来の農業神を祀っているが、新羅系の要素もある。
 神名からは、白山の女神である菊理姫、素戔嗚尊・五十猛尊などを新羅系とした。八幡神となった応神天皇も新羅系の神とした。


6.新羅の枕詞
 楮衾(タクブスマ)は楮の繊維で織られた白い織物のことで、これが新羅・白城・白木にかかる枕詞となった。MADOKAさんが「タク」に新羅の意味があるのではとの問いかけがあったので、いささか調べて見た。
 まず、託杜(タクト)神社が福岡県前原市に鎮座している。祭神は託杜姫であり、これは丹生都姫の異名との説がある。水銀と言うおいしい物資を秦氏が見逃すはずがないと思ったが、ここは丹生氏が東漢氏系の坂上氏の協力を得て、丹生の産地を守り抜いたものと思われる。
 出雲には多久神社が鎮座、祭神は子神の多伎都彦命と母神の天御梶姫命(天甕津比女命(あめのみかつひめのみこと))の二柱、この姫神は味耜高彦根命の后神である。
 さて、悪神とされている天津甕星の妃神も天甕津比女命と見なすことができれば、天津甕星と味耜高彦根命は同じ神となる。尤も、后神が共通な神を同じ神と見なすのは、額田王は天智天皇と天武天皇と夫婦であったこともあり、危険な所ではあるが、星神とアジスキとは同じ神としておく。
 陸奥には式内社の都々古別神社と石都々古別神社があり、他にも分社が数社に及び、祭神はいずれも味耜高彦根命である。この神を星神とすれば、社名の都々(ツツ)は星と理解できる。鴨の大御神を祀る式内社が東国を飛び越えて陸奥に鎮座している理由もわかったような気になる。

 多久の神と新羅とはあまり関係がなさそうで、h船霊について.で述べたように船玉神かも知れない。隠岐に焼火神社が鎮座、これも船玉さんのようだ。


参考文献 上田正昭『古代の日本と渡来の文化』
     大和岩雄『神社と古代民間祭祀』

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