Uga 紀と天災


1.紀の珍しい天文の記事
620(推古28年)11月 天に赤色の気が現れた。長さは一丈余りで、形は雉の尾のよう。 628(推古36)年 3月 日蝕で陽が全く見えなくなった。これ以外にも日蝕の記事がある。
634(舒明 6)年8月 長い星が南の方角に見えた。時の人これを彗星(ほうきぼし)という。
635(舒明 7)年 1月  彗星は巡って東の方向に見えた。
639(舒明11)年 1月  長い星が西北の空に見えた。旻師(みんし)が「彗星である。これが現れると凶作になる。」と言った。
664(天智 3)年 3月  京の北で星が落ちた。隕石。
684(天武13)年 7月  西北の地に彗星が現れた。る。長さ一丈余であった。ハレー彗星と思われる。
684(天武13)年11月 七つの星が一緒に東北の方向に流れ落ちた。
684(天武13)年11月 日没時に星が東の方向に落ちた。大きさは瓮くらいであった。夜8時ごろになると、大空はすっかり乱れて雨のように隕石が落ちてきた。この月、天の中央にぼんやりと光る星があり、昴星と並んで動いていた。


2.三貴子
 天照大神は太陽、月読神は月、素戔嗚尊は嵐とされているが、素戔嗚尊だけ天体ではないのはバランスが悪い。故大林太良氏は、素戔嗚尊金星説をだされています。根拠は、金星は太陽・月に次いで三番目に明るい星で、等級は-4.7等星です。またスサノヲが高天原に昇ると、やがて太陽の女神アマテラスは天岩屋に隠れ、暗黒となった。金星(宵の明星)が天に現れると、日が暮れて夜になったのである。さらに古代中国では「金星=軍事的機能・戦士的機能」とされており、これは素戔嗚尊の機能そのものとされています。
 金星は太陽から見て目障りな星と言えなくはありません。明けの明星は日の出前に東の空で明るく輝き、日が出てからもなかなか消えない場合もある。時には太陽の前を横切る。中国では太白昼見は戦乱や革命の兆しとされます。この星の存在を天孫族から見ると、悪い星即ち悪神に見えるでしょう。中国では太白昼見は戦乱や革命の兆しとされます。この星の存在を天孫族から見ると、悪い星即ち悪神に見えるでしょう。経津主神と武甕槌神は「天に悪い神がいます。名を天津甕星、亦の名を天香香背男ですと報告した。この神を退治したのは倭文神である建葉槌命です。織物を簾として金星を見えなくしたのか。
天津甕星・天香香背男こそ金星ではないかと思われます。


3.彗星、隕石
 ハレー彗星は75.3年周期で訪れます。1910年は地球に近い側を通りました。この時は全天の120度(二分の三)の長さで輝いていたそうです。その次の1986年は太陽の向こう側を通ったので、あまり大きくは見えませんでしたが肉眼で見えました。『紀』にある、天武13年(684)に見えた彗星はハレー彗星だったようです。
 今年、関東で大火球(習志野隕石)が7月20日2時頃に飛びました。音がしたそうです。これは隕石でした。ロシアでは2013年2月15日にウラル山脈東麓の都市チェリャビンスクの上空で隕石が“空中爆発”を起こし、太陽の30倍の明るさとなったそうです。またソ連で1908年6月30日のシベリア・ツングースカの大爆発も隕石の落下でした。森林の木々がなぎ倒されている写真が残っています。



ロシア 隕石爆発(2013)ハレー彗星(1910)



高知 隕石落下跡  ソ連 1908年 森林

太陽や月より明るい天文現象がありました。素戔嗚尊の登場を予感させます。


4.素戔嗚尊
『紀』巻一第五段本文一書第十 伊弉諾・伊弉冉の二神は国生みの後で、日の神、月の神を生み、天に送った。次の蛭児は放流した。次に素戔嗚尊を生んだ。このかたは勇ましく、荒々しくて、残忍なことも平気だった。また常に泣きわめくことがあった。そして国内の人々を多く若死にさせた。また青山を枯山にさせた。諾冉二神は素尊を遠い根の国に追いやった。

『紀』巻一第六段本文 素戔嗚尊、高天原へ上る。大海も轟渡り、山岳も鳴り響いた。

 彗星は流れ星を伴うが、音をだしたり、嵐を呼んだりはしません。素戔嗚尊のイメージではありません。隕石が素戔嗚尊に相応しい天文現象です。隕石は滅多にこの国の国土に落ちてくることはありません。世界には隕石落下跡は全世界で約5万8,000個見つかっています。日本の面積から計算すると 145個 と計算できます。日本で確認できる隕石の痕跡は、南アルプス山中(御池山隕石クレーター)、高知県仁淀川町が知られています。隕石は岐阜市長良の畑の中から発見されています。今年は千葉県。それ以外に下記の神社で隕石をご神体にしているとの伝承があります。宇賀神社(京都市)、大歳神社(兵庫県姫路市)、須賀神社(福岡県直方市)、星尾神社(岡山県美星町)、眞星神社(愛媛県新居浜市)、星田妙見宮‘(大阪府交野市)、星神社(和歌山県龍神村)7社です。古代の人々も実際の体験した人は少なくても、云い伝えられたケースが多かったのでしょう。
 隕石の落下を素戔嗚尊の仕業と古代の人々が思ったのでしょう。


5.味耜高彦根~
 『古事記』大御神とされているのは、天照大御神と迦毛大御神即ち味耜高彦根~です。
『出雲国風土記』「仁多郡、三沢郷 郡家の西南二十五里。大神大穴持命の御子、阿遅須岐高日子命、御須髪(みひげ)八握(やつか)に生ふるまで、昼夜哭き坐して、辞通はざりき。」
 この泣きわめく記事は素戔嗚尊を思わせます。
『日本書紀』天稚彦の段 味耜高彦根~は天稚彦に似ていたので間違えられて怒り、天稚彦の喪屋を、帯びていた劒(つるぎ)大葉刈(おおはがり)またの名は~戸劒(かむとのつるぎ)で斫(き)り仆(ふ)せて、美濃国までぶっ飛ばしました。
 その後で、妹の下照姫は「あまなるや(天なるや) おとたなばたの(弟織女の) うながせる(頸がせる) たまのみすまるの(玉の御統の) あなたまはや(穴玉はや) みたに(み谷) ふたわたらす(二渡らす) あぢすきたかひこね(味耜高彦根)」と歌いました。味耜高彦根~は輝いていて麗しいほどで、二つの丘と二つの谷に渡って輝いていたということです。これは彗星とか隕石なのか、普通の流れ星なのか、天体現象とみることができます。                            

                             以上
参考文献
『日本神話のの構造』大林太郎
『星座で読み解く日本神話』勝俣隆
『日本神話の星ー客星としてのスサノヲー

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