海人と海神

紀元前   出来事
70000    スンダランド大陸 自然石の周りを打欠いた礫石器 剥片石器文化 東南アジアの基層文化。
〜14000   海面100m 気温5-10低い。海岸沿いに海洋民が誕生。黒潮で比国・台湾・琉球と北上。@
30000    沖縄 那覇市山下町 6才女児化石 日本最古の旧石器人
16000    沖縄 港川人 抜歯の跡 『中山世鑑』琉球王国は17000年前に始まった。
12000〜4000  ビュルム氷期の終 スンダランド徐々に水没 人は海へ乗り出す。黒潮が日本海流・対馬海流となる。
10000    薩摩火山噴火 加世田市栫ノ原(かこい) 丸木舟製造用の丸ノミ形石斧  海人集団 突如出現の先進的石器文化 大陸沿岸部から
7500   桜島噴火の灰の下 霧島市上野原遺跡 最大最初の定住集落 土偶・耳飾り 土偶は北の縄文に数千年先行する 旧石器からの流れ
5000   鬼界カルデラ巨大噴火 海の環境の変化 貝がとれない 人々が移動 北へ東へ 南九州の人を南方に移動させたようだ
4000〜3000   高温期 1〜2度高い。海面は5〜10m高い。縄文海進のピーク。
3000   青森 三内丸山遺跡
2000   B 大陸長江文明を発展させた苗族(ミャオ)が寒冷化で南下してきた牧畜民に滅ぼされる。 山東半島から朝鮮半島経由で、また長江下流域から列島へ来る。


NHKスペシャル 日本人はるかな旅Aから
拡大図


古層の神
大山祇神   黒潮に乗って南方もしくは大陸・半島から列島に渡来した縄文人の象徴。
薩摩      木花咲耶姫の親神  隼人の祖神
出雲      足名槌手名槌(櫛稲田姫の親神)の親神
伊予      大三島に鎮座する 百済から摂津(三島鴨神社)から来たと伝わる。
伊豆      富士山 三島大社(三宅島から遷座と伝わる)

アラハバキ 北の縄文人の象徴 蝦夷と呼ばれた。
        陸奥 出羽 越後 常陸 武蔵 相模 伊豆 三河 出雲


紀元前     日本列島には舟に乗って。
1020    『論衡』倭人来りて暢草を献ず。
900〜700 『魏略』 倭人・呉は太伯の後裔である。 弥生文明の萌芽。 江南系海人が拓く。
496     越王匂践立つ。 呉王に夫差立つ。 呉越の戦いは水軍の戦い。
494     越 屈辱的降伏をする。 越 wo(ヲ)  倭 wo
473     夫差自殺 呉滅びる 越や呉(wu)の難民、列島へ流れ来る。
334     越 楚に滅ぼされる。 虐殺? 南京の民も列島へ。先祖を同じくする。
221     秦始皇帝 中国を統一 秦に圧迫された民が半島・列島へ来る。
219     徐福を東海に派遣 史実である。列島各地に伝承が残る。
202     漢高祖皇帝となる。漢、燕を支配する。 秦の民、半島へ。列島へ。
111     漢武帝。南越を征する。越の民、黒潮にのって九州に渡来。安曇と隼人。

国生み神話   順序  淡路 四国 隠岐 九州 壱岐 対馬 佐渡 本州 隠岐は半島人か
   オノコロジマ 淡路島かその近くの島
   イザナギ イザナミ は 阿波か淡路の漁民か山川の地方神だった。
   式内社 淡路国津名郡 伊佐奈伎神社、阿波国美馬郡 伊射奈美神社の存在が語る

一日に一人ずつ助けると言う神様が徳島県に鎮座しています。阿南市津乃峯町の津峯神社の神様です。
玄松子さん津峯神社
 『延喜式神名帳』では、賀志波比賣神社[カシハヒメ] となっています。この女神の名は『記紀』には見えませんが、一説には天照大神の幼名だとか。

 この神社の鎮座する津峯から眼下に橘湾は見えます。谷川健一著『古代海人の世界』によりますと、津峯の山の麓に青木と言う地名があるとのこと、イザナギ神が禊ぎをした阿波岐原と近い名前です。

 黄泉の国から逃げ帰ったイザナギ神にイザナミ神は一日に1000人を殺す、そうするとイザナギ神は一日1500人を誕生させると応答しますが、津峯の神を連想するお話です。

 国生み神話は阿波や淡路を中心に活躍していた海人が語り伝えたお話なのでしょう。阿波と言う言葉は”太陽”を意味するともされ、また阿波には式内社で、事代主神社が二社、伊射奈美神社、弥都波能賣神社、波尓移麻比メ神社、天石門別豊玉比賣神社、和多都美豊玉比賣神社、多祁御奈刀弥神社と言う国生みにからむ神々、海神、国譲りの神と神話を凝縮したような神社が見られます。

 阿波の国には古代の多くの謎が秘められているようです。

天孫降臨  天皇家の祖先は南九州に渡来し、そこから大和に来たとの伝承があった。
   瓊々杵尊は笠沙の岬に到着している。舟山列島から船出したものと思われる。娘媽
   笠沙の岬とは加世田市 栫ノ原(かこい)遺跡からは丸木舟製造用の丸ノミ形石斧が出土。
   薩摩国阿多郡阿多 ここに大山祇神の娘の木花咲耶姫(神阿多津比売)がいた。
   瓊々杵尊と一夜婚、火照命・火須勢理命・火遠理命(穂穂出見尊)を生む。
   火照命は隼人の祖とされる。火須勢理命は海部の祖の火明命、穂穂出見尊は皇祖。

阿多郡阿多郷

伯耆国日野郡阿太 大和国宇智郡阿太 阿太比売神社(阿多隼人の居住地)
出雲国意宇郡 阿太加夜神社 ホーエンヤラ神事 吾田片隅命
神武天皇の妻 日向国吾田邑の吾平津媛
神武天皇は弟猾と椎根津彦に命じて埴土を取って天平瓮を作り神々を祭った。
河内国に吾田媛(崇神紀:武埴安彦と叛乱)は香具山の埴土を採取。倭国の物実。
香具山 香具山の信仰は海人と関連、住吉大社神代記には神功皇后の依頼で埴土を採取

肥前国風土記

松浦郡値嘉の郷
この島の白水郎は容貌が隼人に似て、その言語は世人と違うと、阿曇連百足が報告。


海人の人々


隼人 海幸彦の末裔とされる。安曇と同族かも知れない。唐古・鍵遺跡の楼観は海神の宮か

奈良県 唐古鍵遺跡の土器の建物の復元

安曇族  筑前の志賀島を本拠にする。志賀海神社が鎮座。
   祭神 底津・仲津・表津綿津見神、安曇磯良神、豊玉彦神、豊玉姫神、玉依姫神、穂高見神。
   安曇磯良神は人面蛇神であり、海底にいて一錘十日という具合だったので、顔に牡蠣が付着していたとされ、磯にいたので磯良という。磯武良、磯良丸、磯良エビスとも言う。
   磯良については底津綿津見神、鵜鵜草葺不合尊、五十猛神、武甕槌命と同一説あり。
   近江、信濃など海岸沿い以外にも全国に安曇ゆかりの地名がある。
   難波 安曇江は野崎町にアドヱの字あり
   金印(漢委奴国王)の出土地、伊都国か奴国の王に与えられた金印。
   狗奴国を南九州とすると、隼人と安曇、同族の国であったと言える。
   志賀島は筑紫君磐井の子が差し出した糟屋の屯宮がここ、交易の場を奪う。

宗像族  大国主命六世孫吾田片隅命之後也 やはり吾田の流れの氏族。
   筑前国宗像郡を本拠とし、沖の島、中津島、辺津宮の三座。三女神を祭る。
   肥前国の姫社の神が宗像の郡の珂是古に我を祭らせよと託宣。
   物部麁鹿火の弟の物部阿遅古は水間(水沼)の祖で、宗像神の祭主であった。
   宗像の津麿が安曇の荒雄に対馬行きの船頭を交替して貰った。暴風雨で荒雄死す。
   4世紀以降の祭祀跡、大和河内の王権が祀った航海神。

宗像君
筑前国宗像郡を本拠とし、沖の島、中津島、辺津宮の三座。三女神を祭っています。この三女神は宇佐神宮の比売神として出現したとされています。大分県宇佐郡安心院町に鎮座の三女神社がルーツのようです。この神社の鳥居は肥前鳥居だったと思います。三女神は肥前から伝わったのかも。

 『肥前国風土記』基肄郡 姫社の郷 荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、免れる者が半分と言う具合であった。そこでどうして祟るのかわけを占ってみると、「筑前の国宗像の郡の珂是古にわが社を祭らせよ。」とあります。風土記の異本には阿是古とあります。

 鳥栖市姫方町の姫古曽神社のことです。祭神については饒速日尊とかその母神とされる栲幡千々姫命と見られていますが、現在は市杵嶋姫命ほかです。宗像のの珂是古が祭るのですから宗像の女神でいいのでしょう。ひょっとしたら姫古曽神社から宇佐郡の三女神社へ市杵嶋姫命が伝わったのかも知れません。

 この珂是古即ち阿是古は物部麁鹿火の弟です。物部阿遅古と同一人物と見なされています。水間(水沼)君の祖で、宗像神の祭主でした。『日本書紀神代紀』には、「宗像の三女神は筑紫の水沼君が祀る神。」とあります。

 物部麁鹿火は継体天皇の時、筑紫の君の磐井の征討にたずさわった将軍です。乱の後の九州の統治を任されたようです。

 一つは弟の物部阿遅古を派遣して半島との海路をおさえている宗像船団と神々の掌握を行ったのでしょう。

 更に、筑紫君磐井の子が差し出した糟屋の屯宮とは志賀島のことのようで、安曇の海運をも掌握したようです。物部の梶取の役に阿刀造等の祖の名が出てきますが、安曇からの徴用なのかも知れません。

住吉神  三筒男神  祭祀氏族は筑前:佐伯氏 長門:穴門氏 摂津:津守氏 祖神ではない。
   対馬 海草のように若々しく生命に満ちている少童神が彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊である。
   安曇 綿津見神は本来は女神かも知れない。南方の海神は女神。娘媽神のように。
   正体 イザナギの禊ぎの時、綿津見神とともに誕生の住吉神は綿津見神を祀る港の男神か。
   運の悪い神と運のいい神 安曇と住吉 履中紀での安曇加担の住吉中津皇子の叛乱失敗
   白村江の海戦での大敗北で安曇水軍は壊滅的打撃を蒙った。

 住吉の神は王権による航海神であり、住吉神の末裔と言う氏族はいないようです。それを語るのは各地の住吉神社の祭祀に当たった氏族がばらばらと言うこと。
 すなわち、筑前は佐伯氏、長門は穴門氏、摂津は津守氏でした。王権に任命されたのでしょう。

 海洋民族は南方系が多いのは頷けることです。中世、中国南方の海神として娘媽(のうま)神があり、女神です。海神は女神だったのです。そういう意味では吾田片隅命之後也とされる宗像氏に祀られる三神は比売神です。吾田は阿太で、阿太隼人と同族だったのです。
 宗像海人の津麿が老齢になって対馬へ米を送る船頭の役目を安曇の荒雄に交替して貰います。暴風雨で荒雄は死んでしまうのですが、宗像を祀る安曇を象徴するお話ですね。

 安曇族の祀る和多津見三神はやはり南方系の海神ですから女神だったのです。この女神と同時に誕生した神が住吉三神です。やはり和多津見三神を祀る男神が住吉三神と位置づけることができるのではないでしょうか。津之男、筒男だったのでした。

 大王家は安曇族がいなければ存在できなかったのです。漁貝類の確保は大王の絶対条件だったのです。大王家も海人の出だったのです。天照大神は海中で生まれ、子孫の一人(山幸彦)は海中で王者になるためのイニシエーショウンを行い、彼と海神のむすめの間に生まれた子から天皇家が始まったのです。

 尤も、最後には大王家の海神は住吉神となり、安曇は貶められたようですね。

北九州の海人族の拠点

和珥氏  阿太の賀太須の命、和邇君等の祖。豊玉姫は鵜鵜草葺不合尊を生む際に鰐の姿に。
   水中で天神の子は生めないと言う。しかし天照大神は水の中で生まれている。
   大和、近江にゆかりの地。滋賀県滋賀郡志賀町和迩中 天皇神社
   大和国添上郡 和爾下神社、和爾坐赤阪比古神社   金刀比羅宮

海部  海部郡、海部郷に海人を編成し王権に奉仕せしめる。西日本で、江南系だろう。
   半農半漁型 紀伊海部は漁獲物、塩  尾張や豊後は漁労活動の少ない海人で、交通・ 通商。
   丹後 海部氏系譜 火明命−天香語山命−天村雲命−倭宿禰命(椎根津彦)

物部  饒速日尊 船長、同じく梶取等を率領て天降り供へ奉る
   河内 船長跡部首人等の祖  天津羽原  跡部神社
   摂泉 梶取阿刀造等の祖  大麻良  摂津国神別阿刀連、和泉国神別阿刀連。舳先。

天皇家  天照大神は海の中でうまれた。
   子孫の一人(山幸彦)は海中で王者になるためのイニシエーションを行った。
   彼と海神のむすめの間に生まれた子から天皇家が始まった。鵜鵜草葺不合尊。
   王権の確立に魚介類の供給確保が条件。大王のまつりにはあわびや若芽が必須。
   大王は事代主神の子孫の娘、和珥氏の娘を娶っている。蘇我・藤原は?
   応神は海神の子孫だから竜尾があった。仁徳は海人の貢献品を受け取った。
   八十島祭 天皇が海に赴いてそのパワーと資格を得るイニシエーション。

 天孫降臨と神武東征の物語は天皇家の祖先は南九州に渡来し、そこから大和に来たことを語っています。これは一般的な常識となっているようで、トンデモ話ではなさそうです。
 
 降臨した瓊々杵尊は笠沙の岬にたどり着いています。神話で語られるように高千穂の山に降臨するはずがなく、海を通って笠沙の岬に着いたのでしょう。

 笠沙の岬と言えば野間岳と野間大権現が思い浮かびます。野間姫は大陸沿岸の海神である媽祖のことで、台湾の西の福建省が媽祖となった黙娘の出身地です。この伝承が伝わったルートが一つの参考になろうかと思います。

 媽祖は南九州を中心に遠くは青森県下北郡の大間稲荷神社、宮城県宮城郡七ケ浜町の荒崎神社に祀られています。

 大陸沿岸では浙江省の舟山列島に多く祀られているようです。福建から浙江省にかけての海岸を出立したのでしょう。

かたばみさん青草> 神武の祖である天之忍穂耳尊は前漢における呉楚七国の乱の反乱者=罪人だからです。

 瓊々杵尊と見ても同じなんでしょうが、呉・越付近(上海・南京など)から渡来してきたのでしょう。

 笠沙の岬とは加世田市にあり、ここの栫ノ原(かこい)遺跡からは丸木舟製造用の丸ノミ形石斧が出土しています。
 縄文初期から人が住んでいたようで、最古級の土器も出ているようです。1万年以上の縄文・弥生生活の間には多くの人々が大陸との交流を行って来ていたのでしょう。舟山列島と笠沙の岬とは定期便とは言いませんが、連綿と交流があったと推定できます。

 ここは薩摩国阿多郡阿多、まさに阿多隼人の本拠地です。ここに大山祇神の娘の木花咲耶姫(神阿多津比売)がいて、瓊々杵尊と一夜婚、火照命・火須勢理命・火遠理命(穂穂出見尊)が誕生しました。火照命(海幸彦)は隼人の祖とされる。火須勢理命は海部の祖の火明命、穂穂出見尊(山幸彦)は皇祖となりました。

  倭直 珍彦 椎根津彦 倭直の祖
  猿女 宇豆女  猿女、志摩の神 猿田彦神、天鳥船神も海神・船玉神。
  紀氏 宇遅彦 紀氏の祖 紀伊−瀬戸内海−朝鮮半島 五十猛神


日本古代政治史研究 岸俊夫著 から
拡大図

秦氏 天日槍 海水を掻きまわして宿った。浪切る比礼、浪振る比礼など。太秦。

神奈備にようこそ