こぼればなし
最新の靱本町の写真
現在の靱本町google
天保八年(1837) 大塩平八郎の乱。天満・北浜を中心に大坂の市街地の二割を焼いた。大塩焼けと云われる大火となった。大坂三郷の市民は平八郎に同情的だと云われている。しかし、靱の商売人などは、迷惑なことと思っていたようだ。
大塩は、美吉屋五郎兵衛の店(現西区靱油掛町付近)に匿われたが、出入りする奉公人によって大坂城代土井利位(古河藩主)に通報され、土井とその家老鷹見泉石らの率いる探索方に包囲された末、火薬を使って自決した。遺体は顔の判別も不可能な状態であったと伝わる。
終焉の地は靱、碑が建っている。
大塩終焉の地の碑
昭和天皇大阪に行幸
昭和四年(1929)六月四日、昭和天皇は和歌山県で南方熊楠と楽しいひとときを過ごされた後、軍艦長門で大坂港に着かれた。天皇が各地を訪問されている間に、各侍従はそれぞれ有意義な訪問をされている。
昭和四年十月の改築中の靱小学校
陛下一行
四日、大阪港に到着した陛下一行は、岡崎橋、信濃橋を通り、大阪市役所に向かわれている。靱小学校や園舎は途中にある。
侍従は御陵、神社、史跡、産業、教育、社会事業関係および新聞社にを中心に差し遣わされていると、五日の朝日新聞に記載されている。
昭和四年(1929)六月四日、昭和天皇の名代として甘露寺侍従が靱に遣わされた。大阪市西区の靱青年団に行幸されている。『行幸記録』によれば、大正九年に中田秀次郎氏によって創立され、模範的な活動を行ってきたようだ。活動拠点は靱小学校や幼稚園の敷地に置かれていたのだろう。顕彰碑は靱小学校の近くに建っていたものと思われる。
なお、『昭和四年大阪市行幸記念誌』によれば、侍従は四日、大阪朝日新聞社、大阪商工会議所、大阪市立商科大学、日本赤十字社大阪支部病院、官幣大社生国魂神社、中央職業紹介所、大阪市立西区靱青年団、壊徳堂訪れておられる。
靱青年団を市立と表記しているが、誤植だろう。青年団は若者組・娘組の後裔の姿で、青年の社会教育に当たった。
壊徳堂は江戸後期に大阪商人が設立した学問所。大阪大学に継承されている。
昭和四年六月五日 朝日新聞 侍従関係の記事
この頃の朝日新聞は健全だったようだ。
甘露寺侍従靱青年団への差遣記念碑 靱青年團が建立。 大阪市西区靱青年団についての『大阪府行幸記録』から。
大正十五年十月二日、靱青年団が臨時非常召集演習に動員された。昭和三年七月五日から三日間、日本最初の都市防空演習が行われ、靱青年団も参加。尚、これらの演習に参加したことと、侍従が差遣されたことを結びつけているわけではない。
碑の隣の靱尋常小学校跡の碑
昭和四年六月四日 昭和天皇が和歌山から大阪に行幸。
大阪での予定
陛下と関一市長(右) 市民奉迎会 市立図書館蔵
火除地蔵尊
昔、信濃橋の近くの石灰商が祭祀する地蔵尊があり、西横堀の陶器商の崇敬をあつめていた。陶器商は荷造材料に大量の藁を使用しており、店先の土間などに積んでいたが、この藁に火がつけばたちまち大火になるので、陶器商は人一倍火の用心をしていた。
地蔵尊では毎年7月下旬に盛大な地蔵祭りが行われていた。明治以降の神仏分離で、地蔵尊を火除秋葉神社として存続させ、後に火防陶器神社と改称、後に坐摩神社の境内に遷された。
坐摩神社境内火防陶器神社
梶井基次郎
公園内の梶井基次郎の文学碑
短編小説が多く、「檸檬」など。
靱地域の北側の西区土佐堀通五丁目に誕生。西区江戸堀尋常小学校に入学。北野中学から三高東京帝大へ進学。三〇歳で初の原稿料を得る。翌年大阪で死去。
青空文庫『檸檬』
信濃橋洋画研究所
大正十三年創立 後に中之島へ移り、昭和十九年閉鎖
信濃橋洋画研究所跡の碑
黒田重太郎 小出楢重
1887年9月20日 - 1970年6月24日 1887年10月13日 - 1931年2月13日
TVドラマ けったいな人々
NHKのtvで、昭和48年4月から翌年3月の間に疱瘡された「けったいな人々」と云うドラマがあった。
筋書きは、戦前の靱の海産物問屋の若旦那が天満にうどん屋を開くようなお話であったが、詳しいことは忘却のかなたにある。配役は、西山嘉孝、高森和子、藤田まこと、八千草薫、笑福亭仁鶴さんなど、達者がそろっていた。また、翌年の一年間、続編が放送されていた。
NHKドラマ紹介1970-74
靱テニスセンターについて。
西園に公式試合のできるテニスコートがある。東園はテニススクール用のコートがある。
公式試合
ジャパン女子オープンテニス
JAPAN WOMEN'S OPEN TENNIS は、2009年より大阪市の靱テニスセンター[1]で開催される女子テニス大会である。第1回は10月12日より18日まで開催。
2009年のWTAツアー再編に伴い、それまでのジャパン・オープン・テニス選手権の女子を分割する形で新設。それまでのジャパンオープン女子の部はITFサーキットシリーズに降格となり、ジャパン女子オープンテニスの前哨戦に位置づけられることになった。歴代優勝者などジャパンオープン女子の部の歴史も引き継がれる。
シングルス 2010年 優勝 タイ王国 タマリネ・タナスガーン 準優勝 日本 クルム伊達公子
ダブルス 2013年 優勝 アメリカ 準優勝 日本 クルム伊達公子
世界スーパージュニアテニス選手権大会
1978年から毎年10月に大阪市・靱テニスセンターで開催されているジュニアテニス大会である。ITF管轄のジュニアツアー大会の中でもグランドスラムのジュニア部門に次ぐグレードAランク大会として、アジアで唯一開催されている大会である。
全日本ジュニアテニス選手権
毎年8月に大阪府大阪市・靱テニスセンターで開催されるテニス大会である。正式な大会名はダンロップ 全日本ジュニアテニス選手権。
第1回は1929年に開催。戦争による2度の中断を経て、毎年開催されている。
2001年8月 錦織圭 12歳以下で優勝。
靱公園のガイド。
京町堀倶楽部のうつぼ公園情報が良くできています。
のうつぼ公園情報
参考文献 『西区史 1』、『靱の歴史』川端直正、『いのちの森ー生物多様性公園をめざしてー大阪都心・靱公園の自然と歴史ー』 |