岩上神社
京都市上京区上立売通浄福寺東入る大黒町

全景


交通
千本今出川角から東北400m its-mo

祭神
岩神(授乳、陽石、塞神)

社殿内の岩神

由緒 京都・伝説散歩(京都新聞社)


 授乳の神様として明治初期まで栄えた。”岩神祠″は民家と工場に包まれるようにうずくまっていた。千本通上立売を東に歩いて浄福寺通を少しこえた左側。西陣お召の千切屋寮の中央に「岩神」の額がかかっていて、その細い路地に導かれた、奥である。石の鳥居に守られた「岩神さま」は高さ1.7m、直径1mの大きな、丸い岩石。薄くさ し込んだ冬日を浴び、ぼつんとただ一つ、周囲を巻いた古びた縄だけが、わずかに神様の面影を 残している。
 この岩はいわゆる陽石で、男性のシソボルを型どっており、京都では数少ない性神だ。が、な ぜこの地に置かれたかは、さだかではない。

 寛永年間のころである。中和門院(後陽成天皇女御)の御所内に美しい池があった。ところが、 夜になると、この池のあたりから、すすり泣きの声が聞こえて、「帰りたい、帰りたい」
 不思議に思った御所の官吏が調べてみると、どうやら池のほとりの大きな石が泣いているのだ。
 「おかしなことがあるものだ。何かいわれがあるにちがいない」
 官吏は早々に真言の僧に相談、祈とうをとり行なうことになった。
 僧の重々しい読経が続くと、案たがわず石は、「帰りたい、帰りたい。故郷に帰りたい」
 「さて、故郷はどこじゃな。早速に移して進ぜよう」
 やがて、石は現在の両にまつられたのだった。

 また、一説に岩神祠一帯は、栄華をきわめた藤原時乎の屋敷跡といわれ、こんな話もある。
 この岩には時乎の乳母の魂がのり移っているため、反藤原派にはたたりがあるといわれたり、 仲の悪かった菅原道真公をまつる北野天満宮に参る人にたたったとか。ちェうど岩神さんのある上立売通を西へ行きあたると北野神社があるが、おかげで北野神社へお参りする人たちは「ご利益がいただけない」とこの通りを避けた。時代はさがってこんどは江戸時代も末期。このあたりに毎夜、妖怪が出没、旅人や通行く人たちをおどしたり、禿童(かむろ)に化けて町を歩き、人々をおぴやかしたり。
 「困ったものだ。夜もおちおち歩けない」
 かなわぬ時のなんとかで、人々はこの石に安全を祈願した。以来妖怪騒ぎはぴたりとしずまっ たのだった。

 有乳山岩神寺。かつて大きな祠をかまえ、主婦や結婚前の女性の参拝が絶えなかったが、その 後、享保の大火で本堂は焼失、残ったのは小堂一つ。そして明治になってその堂もこわれ、今のように岩だけになってしまったといわれる。岩神さんが授乳神といわれるのは、やはり石の形。性のシソポルに由来するのだろう。こうした神体は道祖神、塞神などと呼はれ、現在でも各地方で縁結びの神様、農業神として敬われている。
 「今の若いもんは岩神さんのことは知らんでしェうね。私は孫の出産祈願にきたんですが、娘にも参拝するようにいうんです。でも・・・。もう私が最後でしェうね・・・」−−あか(閼伽)をくんでいた参拝の老女はこういって肩を落とした、岩神さんのいい伝えは今も信じられている。

岩神

たたずまい
 『伝説散歩』の記事よりは、岩神祠周辺は整備されているように見える。ちょとした公園に近いが、付近には自動車の駐車が多い。

お祭り 

京都山城の神々

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H17.7.8