神南備神社
京田辺市薪甘南備山10

交通
京田辺駅 西へ30分で登山口 its-mo

鳥居

祭神
天照大神、葺不合命、大國主命、天兒屋根命
甘南備真人祖歟(神社覈録)

由緒
  加牟奈毘と訓するべしと『神社覈録』は書く。 近世には間鍋山など、訛って呼ばれていたようだ。綴喜郡の式内社。

 『山城国神南備記』には、「神武天皇が東遷の際に此の地を通られ、また天神地祇をここでお祭りになった。」と云う伝承が記載されているそうだ。本来は、神体山信仰が原点であったと『式内社調査報告』のなかで、西山克氏は記述されている。一応はなだらかではあるが、左右対称に美しい形なのでたしかに神奈備山と見ることが出来るが、目を見張らせる程の秀麗さではないような気がする。 それでも平安京造営の際の中軸線としての朱雀大路の目印になった山と云われる。

 この山の頂上に神社は鎮座しているのだが、中腹に水晶谷と云う谷があり、相当掘り尽くされているようだが、現在でも水晶の欠片程度は発見できると云う。水晶を出土した山であることが神奈備山とされた本当の理由かも知れない。−神が鎮座する山、ゆめゆめ登ってはならない−と独占したもの居たのではなかろうか。
 それが村人に知れ渡って、間鍋山との呼称で、みんなで水晶を取ったのかもしれない。

 大住に鎮座する月読神社の神が降臨した山がこの山であり、降臨した石は現在は麓の薪神社の境内に祀られている。従って、元々の祭神は月読神であったのではなかろうか。丁度月読神社の真南に神南備神社は鎮座していいる。

社殿風景

たたずまい
 甘南備山登山口へは一休寺から西へ行く。それらしい山を目指して舗装されている広くはない道を歩けば自然に麓に到着する。標識に旧登山道とある道を行った。途中で尾根筋道と谷筋道に別れていた。水晶谷を通れば何か光ったものに出会うかもと谷筋を行ったのだが、どこが水晶谷かよく分からなかった。通っていなかったのかも知れない。

 頂上近くに神社が鎮座、落ち着いた雰囲気で小さい神社ながらも身がひきしまる。本殿の背後に円い小丘らしいものがあり、四角い土台のような石があった。

本殿

お祭り

 10月 15日 例祭

式内社調査報告1

京都山城の神々

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H17.3.30