貴船神社
京都市左京区鞍馬貴船町 its-mo

鳥居

交通
京福電鉄鞍馬線貴船口より徒歩30分

祭神
水神 (高神 または罔象女神)

水祭の日の社殿

由緒

 鞍馬・貴船地区の地主神であった。社伝によれば玉依姫が黄船に乗って淀川賀茂川を経て当地へ上陸し一宇を祠を営なんだのが創祀とされる。 途中、貴船と鞍馬の別れで、一旦は鞍馬に船先を向けたが、やがて貴船に向いて進めたと言う。その地に梶取社が鎮座する。叡電貴船口駅南すぐ。
 樹木の生い茂った山林の神で地主神であったと思われる。そうすれば、木船を素直に、木で作った船を祀るとの解釈は見あたらないのは不思議である。

 貴船は「木生根」に基づくとの説がある。後に王城鎮守貴船明神とも称された。鞍馬寺を創建しようとする際、貴布禰ノ明神からこの地は霊験掲焉なりとあったと言う。

 祈雨止雨は大和の丹生川上神社に行われていたが、平安時代になり、鴨川の上流のこの社が選ばれる事になった。祭神は丹生川上神社からの勧請である。
 延喜式では名神大・月次新甞とある。

 明治維新までは賀茂別雷神社(上賀茂社)の摂社となっていた。離脱を計り上賀茂社とはもめ事を繰り返しており、貴船社の神田からを奪われたりしている。

本社

たたずまい

 貴船川沿いに鎮座、清涼である。本社の前には桂の大木がある。本社より500m程遡ると奥宮がある。参道は連理の杉、相生大杉等の巨杉がある。奥宮より東の奥に龍王の滝がある。とても行けるところではないそうだ。 他に、本社の西の山へ300m行くと鏡岩と言う岩があり、貴布禰大明神の降臨の処とされる。ここは禁足地になている。

中社 結社「磐長姫命」

中社境内の天磐船石

私市社「大國主命」、林田社「少名彦命」

奥宮

船形石 上から見ると柿の種型

奥宮の吸葛社「味耜高彦根命:古伝に百太夫」
 大国主命の子、鴨大神との称す。日本二雨の神、御百太夫とも伝える。

お祭り

3月7日 雨乞い神事  
6月1日 貴船祭(イタドリ祭)  
7月7日 水祭  
11月7日 お火焚祭


奥宮の権地

『平成祭礼データ』貴布総本宮貴船神社略記

御鎮座 鴨川の上流、貴船鞍馬の山峡幽邃の地に鎮ります。神代の昔貴船山に御降臨、御社殿創建の年代不祥ながら、社記に凡そ1500年前とあり、第四十代天武天皇の白鳳6年(凡そ1300余年前)御社殿造替えが行われている。日本後記に、藤原伊勢人が東寺造営の任に当った時、霊夢に貴船大明神あらわれて、鞍馬寺建立の御託宣ありと記されている。第七十代後冷泉天皇永承元年七月水害、天喜三年四月(凡1000年前)現在地に奉遷し、元の処は奥宮として奉斎す。 御社格 第五十二代嵯峨天皇弘仁9年大社に宣せられる。延喜の制には名神大社に列し、四度の官幣に預り、二十二社(皇室が特別大切にされた神社)に列す。祈雨八十五座の一として、奉幣には別に祈雨に黒馬、祈晴に白馬を添えられた。 御神階 弘仁9年従五位下に叙せられ、霊験著しく漸次進めて、崇徳天皇保延6年には正一位に昇叙せられる。 貴船信仰 水の霊威は実に広大にして、計り知れない。万物水霊を蒙らぬはない。平安朝時代からの朝野の尊崇極めて厚く、日照り、長雨、国家有事の際には必ず勅使(天皇のお使い)を派遣せられ祈念が捧げられた。尊貴の崇敬は全国一般にも及び、殊に治水関係者、農家、醸造家、染織家、航海者、料理飲食業、製菓業、浴場業、その他水商売の人々は厚い畏敬の念を以て信仰を捧げている。当社より御分霊を戴いておまつりしている御分社は全国府県に御鎮座、約五百社を数える。
以上

参考 日本の神々5 山城近江 白水社  京都山城寺院神社大事典(平凡社)

公式貴船神社

山城の神々

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