地主神社(じしゅ)
京都市東山区清水1丁目 清水寺境内 its-mo
鳥居
交通
清水寺本堂背後 入山料300円
祭神
大己貴命、素盞嗚尊、稲田姫命、足名槌命、手名槌命
由緒
清水寺の鎮守。清水寺は音羽山清水寺(おとわやませいすいじ)。旧称は地主権現堂、創祀は清水寺の創建時と同じ。
清水寺は平安遷都後まもなくの創建で坂上田村麻呂が関係したという。
初代の征夷大将軍の栄誉をになう坂上田村麻呂は応神天皇の時代に渡来したとされる阿智王の子孫で、前漢の高祖皇帝の末裔とされている。心根の優しい大男と伝わる。
秦の始皇帝の末裔とする秦氏は山東半島から兵主神を半島経由で天日槍として持ち込んだが、前漢の高祖皇帝の後裔とする 東漢(やまとのあや)氏はやはり山東半島の地主神を持ち込んだのかもしれない。
この件については先ず以下の資料を参照して下さい。
社殿
『鬼神への鎮魂歌』千田稔著から
●始皇帝と八神
「泰山のことが、なぜ日本の六世紀代の藤ノ木古墳と関連があるのか」いぶかと証る人がいるであろう。 その疑問に答えるためには、いましぼらく始皇帝の山東半島での行動を『史記』に従って追ってみなけれぼならない。
始皇帝は封禅の祭りを終えたあと、道中、名山、人川および八神を祀った。八神について『史記』の記すところとその比定地などを要約すると、次のとおりである。
(1)天主……この神は天斉で祀られる。天斉とは深い泉のことで、臨溜の南郊の山の麓にある。臨溜とは、現在の山東省溜博市にあたる。かつての斉の国の都であり、斉という名前がつけられたのは天斉に由来する。
(2)地主…:この神はさきに述べた皇帝の封禅の儀式と同様、泰山と梁父山で祀る。天は陽であるから陰を好むので、天を祀るには必ず高い山の麓の小山で祀ることになる。その祭りの場所を畤とよぶ。一方、地は陰のために陽を尊ぶので、地を祀るには沼のような湿地帯の園丘で行なう。
(3)兵主……蚩尤を祀る。蚩尤の祠は東平陸県の監郷にある。斉の国の西の境にあたる。この位置にっいては、のちにふれることにしたい。
(4)陰主…:三山に祀る。三山とは山東省黄県の東南とされる。
(5)主…之罘山(しふざん)に祀られる。之罘山とは山東省福山県の東北に位置する。
(6)主……莱山(らいざん)に祀られる。莱山もまた山東省黄県の東南の地である。
(7)日主……成山に租る、成山とは山東省栄成県にあって、米島の突端部の地である。斉の国の東北の果てにあり、日の出を迎えるところといわれていた。
(8)四時主……琅邪に祀る。琅邪とは山東省臨沂県の地にある。『漢書』郊祀志(こうしし)によると正月の日の出のところにあたり、四季の初めであるので、このような名がつけられたらしいことを示唆している。これら八神には、いずれにも牛、羊、豚のいけにえをお供えするとある。
参照 赤山禅院 |
たたずまい
修学旅行と小娘とアベックでにぎやかであり、到底おじさんの近寄るような神社ではない。
清水の舞台からもよく見える。
磐岩(縄文時代からのものとの説明が書いてある。磐そのものだろうか)
本殿
京都山城寺院神社大事典(平凡社)
公式地主神社
京都山城の神々
神奈備にようこそにもどる
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