水火天満宮
京都市上京区堀川通寺ノ内上ル二丁目扇町722-10

鳥居


交通
バス掘川通り上御霊下車 mapfan


祭神
菅原道眞

由緒
 昭和二十七年(1952)、堀川通り拡張に伴い、当地に移転した。
 社伝によれば、延長元年(923)、醍醐天皇の勅願により菅原道真の神霊を勧請して建立されたと謂う。
 『山州名勝志』に「所祭号水火天神其故ハ此神昔御怨霊ヲ現ジ玉ヘルニ、雷ヲナシ、大雨ヲ現ジ玉フ故也」とあり、水難火難禍除けの神として知られる。

本殿

たたずまい
 鎮座地は道真の師であった天台の僧・法正坊尊意僧正の屋敷跡ともいわれる。道真は配流の地・太宰府で亡くなるに際し師に髪を届けた。
 去年今夜待清涼  秋思詩篇独断腸
 平安の町は、落雷、火災が多く起こり、道真の祟りと噂されたので、醍醐天皇は延暦寺に勅使を出し、法正坊を呼んだ。早速に山を下り、宮中に急いだが、丁度鴨川にさしかかった時、川の水が急にかさを益して、土手を越えてきた。法正坊、少しも騒がず、手に持った数珠をひともみ、川に祈った。水流はみるみる下がり、二つにわかれたと思うと、石の上に道真の姿があらわれ、雲の中に昇天し尾を引いて消えた。 その石の一片を境内に置いたものという。

 登天石は陽石であり、性神であった。道祖神でもあった。

登天石

お祭り 


 10月10日  例大祭

平成祭礼データ

 縁起 洛陽一条上る下り松の霊地に雨水雷火の難を消除の守護神として菅公を祭るために延暦寺の尊意僧正に勅命ありし日の本最初の天満宮の勧請の最初なり

 沿革 延長元年六月二十五日洛陽一条上る下り松の霊地に雨雷火災の難を消除の守護神として菅公の霊を祭り賜いて新に宮殿を建立ましまして水火の社天満大神と神号の勅許ありし霊地なり 文明四年辰九月十日人皇百四代後土御門帝三十歳の御時当社に行幸当社に於て御和歌の御会あり其の節神殿にて天神名号御震筆を賜はり当社に御寄附になり

 尚文明四年中天皇毎度当社に行幸有り神主石見守正景の和歌其の他書類がありましたが天明八年申歳正月二十九日洛中洛外の節家宝書類焼失いたし誠に残念に存じます
 先代神主孝学友明拝命以後の記録なきため改めて記録を作成した次第です
 其の後、支那事変大東亜戦争の幾多の変遷を経て昭和二十五年掘川通り重幹線道路となるため現在地に移転したのであります
   以上

『京都・山城 寺院神社大事典』、『平成祭礼データ』

京都山城の神々

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H17.4.22