月読神社
京都府京田辺市大住池平31 its-mo

鳥居と隼人舞発祥の碑

交通案内
JR学園都市線大住下車 西へ700m、北へ700m


祭神
月讀命 配祀 伊邪那岐尊、伊邪那美尊
摂社
御舟社、聖徳太子社



由緒

 山城国綴喜郡の式内大社月読神社に比定。『三代実録』の樺井月読神と『神祇志料』はしている。
 鎮座地は大住郷(大隅郷)で、隼人の移住地に鎮座しているので、隼人によって祭祀された月読神と思われる。鹿児島県には現在でも「オツッドン」(御月殿)を祀る月神信仰が残っている。更に海幸彦山幸彦神話は南九州の人々が伝えており、桂の木に降臨する山幸彦は、『山城国風土記逸文』に出てくる「月読尊が湯津桂の樹に依った」とあるのと合わせて考えると、日の神の孫の山幸彦とは月の神とも言える。

拝殿

 万葉集に月人壮士と云う言葉の歌があるが、『古事記』で、山幸彦を「甚麗しき壮夫」と呼んでいるのを連想させる。
巻一〇 二〇四三 秋風の清(さや)けき夕へ天の川舟榜ぎ渡る月人壮士つきひとをとこ
巻一〇 二二二三 天の海に月の船浮け桂楫懸けて榜ぐ見ゆ月人壮士
巻十五 三六一一 大船に真楫しじ貫(ぬ)き海原(うなはら)を榜ぎ出て渡る月人壮士(つきひとをとこ)

本殿

 


お姿
 大住中学校の北側の大きい森の中に鎮座。
 宮中神楽の発祥の地の碑がある。また隼人舞伝承地として顕彰されている。大隅隼人が七世紀頃に当地に移住、郷土の隼人舞を天皇即位にともなう大嘗祭の時などに朝廷で演じた。また月読神社へも奉納されて舞い伝えられて来た。隼人舞は岩戸神楽と共に日本民族芸能の二大源流ともいわれている。

 宝生座発祥の碑もある。月読神社の神宮寺を宝生山福養寺と云い、老松の茂る池には亀が遊んでいた。この神社と寺に奉納した能楽座を宝生座(外山座とも)と称した。(志賀剛)

宝生座発祥の碑


お祭り
 10月 15日 例祭

御霊神社「少彦名命」

平成祭礼データから

月読神社の由緒

月読神社は月読尊・伊邪那枝尊・伊邪那美尊を祭り旧村社「延喜式内社」大住国から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ、又一説には平城天皇の大同4年(西暦809)大住山に霊光を拝して神殿を造営されたのに始まり、その後貞観元年8月に月読神社といわれている。貞治三年葛野義威が神殿を再興し慶応4年正月石清水八幡宮が戦火を避けて当社へ、一時遷座された事のある格式の有る神社です。本殿は東面し、一間社・流造・板葺で明治26年再建



参考:『日本の神々5』

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