白井神社
兵庫県尼崎市

交通案内

阪急神戸線園田駅周辺



祭神

天手力男命



善法寺町の白井神社の境内の石積みと社殿



由緒


 尼崎市の旧穴太村付近を中心に4社の白井神社が鎮座。これらを紹介する。
 いずれも祭神は天手力男命である。日抱神である。
 『日本の神々3』によると、近江国志賀郡の穴太氏は古代朝鮮の伽耶地方の安羅の人々の末とされる。 地名の「穴」では大和の穴師兵主神社が思い浮かぶが、天日槍が入ったと伝わる栗太郡穴村には安羅神社が鎮座(現在の祭神は速佐須良比に素盞嗚尊が配されている)、元々は天日槍を祖神とする一族であったものと思われる。秦氏にかかわる神社と見ていい。

 『日本の神々3』に「穴太」という所を五箇所あげてある。
 京都府南桑田郡亀岡町穴太(亀岡市)
 奈良県吉野郡賀名生(吉野村)
 三重県員弁郡東員町穴太
 大阪府若江郡穴太村
 尼崎市穴太村(東園田町)

 これらが天日槍命にからむかどうか不明だが、亀岡市曽我部町穴太宮垣内の小幡神社は開化天皇に日子坐王を配した式内社で、「幡」と近くの三宅神社、また大堰川沿いに開発を進めて来た秦氏の存在もあり、神社から解いていく古代史の重要な素材であろう神社と思われる。

 同様に尼崎の白井神社も造船の猪名部氏など渡来系の色彩の強い地域に鎮座し、白井神社が新羅神社からの転訛とすれば、天日槍命だけではなく素盞嗚尊、五十猛命を奉じた氏族の存在も考えなくては解けてこないと思う。

 東園田町4の白井神社が三社の内で大きいが、社頭掲示には創建年代は穴太の地名と古文書から千年余以前の設立が推し量れると記している。

 善法寺町の白井神社の由緒には創建年代は不詳、ただ享保年間(1716ー)発行の『摂津誌』には白井天王祠穴太村にあり、隣村にも祀る云々と出ていることと指摘している。


お姿


善法寺町の白井神社 南向き its-mo



東園田町5の白井神社 東向き its-mo



東園田町4の白井神社 南向き mapfan



額田町の白井神社 南向き mapfan

 



東園田町4の白井神社の御神体は丸石だと言う。もちろん確認出来ていない。 近江国栗太郡穴村の安羅神社の御神体も丸石だそうだ。偶然かも知れないが、天日槍が追いかけた女神は赤い玉(一説には白い玉)の変貌したものであり、もちろん太陽の象徴でもあると思われ、日を動かす神の性格は残っているようだ。 日抱尊でもある天手力男命が祭神でも不思議ではない。
 もう一つは尼崎市額田町19の額田白井神社である。

お祭り


善法寺町の白井神社  10月28日 例祭(秋祭り)


東園田町5の白井神社 10月26、27日 例祭(秋祭り)


東園田町4の白井神社  4月28日 春祭り、8月28日 夏祭り、10月27、28日 例祭(秋祭り)


額田町の白井神社  10月10日 例祭


兵主神・邪馬台国と天日槍命・赤留比賣命

神奈備にようこそ