原狗奴国にようこそ

西暦 大陸・半島 九州 山陰・山陽 畿内・紀州 近江・伊勢・東海
-1020 倭人来りて暢草を献ず        
-219 始皇帝、徐福を東海へ派遣        
-202 漢高祖皇帝となる
漢、燕を支配す
       
-195 満、朝鮮王国を建てる        
-108 漢、楽浪郡等を置く        
-37 高句麗建国        
8 前漢滅び、新を建国   第一次高地性集落    
37 後漢光武帝統一        
57 光武帝
半島南の多島海地域から北部九州の土器が出土、近畿の土器は皆無。
倭奴国王朝賀
漢倭奴国印授
半島大陸の青銅武器、前漢鏡、鉄器などが出土。
  第二次高地性集落  
100   九州から神武東征開始      
107   倭国王師升等朝貢す      
2世紀央   平原弥生遺跡   唐古鍵遺跡から北部九州の巴形銅器が出土。  
2世紀後半       神武東征の完成
孝霊・孝元天皇
旧大和勢力東へ撤退
184 黄巾の乱        
189 公孫度遼東太守となる     倭国王に卑弥呼擁立
邪馬台国に都す。
東海に狗奴国建国
204 公孫康帯方郡を設置     卑弥呼、倭国王として承認さる  
220 この頃三国時代へ
魏・蜀・呉建国
鉄剣・鉄刀・鉄戈などが集中的に出土。      
230 呉の孫権徐福の子孫を探す        
239 景初三年、魏明帝死     卑弥呼、親魏倭王の印授  
244 母丘倹高句麗遠征        
245       狗奴国との戦い激化
魏、倭の難升米に黄憧を賜う
 
247       卑弥呼死す
台与倭国王に
 
3世紀央       崇神天皇
箸墓造営
北部九州起源の多数の銅鏡を副葬する儀礼、日の神信仰が入る。
狗奴国と和平
266 晋の武帝統一        
280 晋、呉を併合天下統一
陳寿「三国志」
       
           
304 五胡十六国の乱        
313 帯方郡滅亡        
340 百済・新羅建国        

大和旧勢力が狗奴国を建国した。

 『魏志倭人伝』からは邪馬台国の場所は確定できない。これは魏使が邪馬台国まで行っていないことにより、伝聞によって報告したからであろうし、さらに幾たびかの九州から大和への東遷・東征があったことによる混乱もあったのだろう。

 政治勢力の東への移動は、幾たびもあった。神武東征や神功応神東征が大きいものだった。これらが記憶に残った。神武天皇の移動のターゲットは大和・宇陀の水銀、大和にいた勢力が東に逃れて狗奴国を建国することになる。

 狗奴国を邪馬台国の南にあると記述されているが、下記の地図のように、西を上に書いた日本地図が上を北と間違って見てしまったものであろう。

『魏志倭人伝』倭国乱る。



 2世紀後半、後漢王朝が黄巾の乱などで衰退し、後漢から威信財の供給を受けていた倭国王師升等の後裔の権威も失墜、更に鉄材の配分にも乱れが生じてきたのを期に群雄割拠の時代となった。戦争にかかわる遺跡・遺物は北部九州から伊勢湾沿岸までの範囲に分布し、環濠集落、矢尻、殺傷人骨、武器などとして出ている。そこで各国は卑弥呼として呪術能力の際立った巫女を共立し、新生倭国連合の発足となった。卑弥呼は邪馬台国を都とした。古代の日本で山と言えば三輪山、その麓の高臺をヤマトと呼び、そこに居るということ、邪馬台国は発音通り大和である。


 巫女王に異議をとなえた北方にルーツを持つ集団(後の外物部など)の大半は東へ旅立った。彼らは近畿以東を領域とする狗奴国を建国することになる。尾張氏や同族の海部氏なども東海に進出していた。


『魏志倭人伝』卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。「素より」とは卑弥呼の擁立に反対だったということであろう。老醜の卑弥呼は247年、狗奴国と交戦したようだ。


 倭国は狗奴国との敵対関係の中、魏国に救援を求めている。邪馬台国は三十国の盟主でありながら武力によって成立した政権ではなく、武力としては狗奴国より弱小国だったようだ。三十国全部が卑弥呼の為に一肌脱ぐと云う雰囲気ではなかったのだろう。
『魏志倭人伝』卑弥呼の死。男王立つも国中服さず。台与二代目卑弥呼になる。

 

青銅器の分布 畿内と東海は一体


 卑弥呼は六〇年近く女王の座に居た。その間に狗奴国の王だった卑弥弓呼は何代か交替している。そこへ若い台与が巫女女王として登場、魏の仲介もあったのだろう、一挙に和解へと進んだ。

 邪馬台国と狗奴国の物語りはこのようにして歴史の中へ溶け込んでいった。

付録 神武東征

 神武天皇は東征に入り、筑紫の岡田宮で大和の物部勢力の懐柔を依頼。また安芸の協力を取り付けた。孝安天皇の皇子に大吉備諸進命の名が見える。孝霊天皇の皇子に大吉備津日子命、若日子建吉備津日子命がいる。吉備国内部の混乱に乗じて吉備に子息を送り込むことに成功したのではなかろうか。
 孝霊天皇の代の頃である大和へへ侵攻を開始し、畿内の狗奴国を制した物語の神話化したものが神武東征譚と思われる。
 事前に物部勢力を懐柔していたので、抵抗は散発的なものであり、本格的な戦闘はなかったようだ。
 東征の経路には海人族の協力があった。これが倭国造の祖とされる椎根津彦の道案内の話になっている。

海(和田地名)

『記紀』『平成祭りCD』綏靖天皇から開化天皇まで


 
 
各天皇の地域別神社数
                 瀬北=瀬戸内海北岸 山口、広島、岡山
     九 瀬 瀬 奈 近   瀬南=瀬戸内海南岸 愛媛、香川、徳島
     州 北 南 良 東   近東=近畿以東
 綏靖  20 0 2 0 5  妃 一人 事代主神の娘
 安寧   0 0 0 1 2  妃 一人 事代主神の孫娘
 懿徳   0 0 0 1 1  妃 一人
 孝昭   0 0 0 0 1  妃 一人
 孝安   0 0 2 3 4  妃 一人
 孝霊  1 17 2 1 1  妃 四人  磯城県主大目の娘細姫など
 孝元   1 0 0 1 5  妃 四人  穂積、物部、河内の娘達
 開化   0 0 0 1 4  妃 三人  丹波、物部、和珥の娘達

 孝霊妃:大倭玖迩阿禮比賣命  台与のことか
     0 0 0 1 4
 台与の娘 大倭迹迹日百襲比賣命 
     0 4 6 1 1

 欠史八代とされる天皇達、初期の天皇の妃が事代主神の娘などになっている。伝承が失われていたのであろう。孝霊天皇の妃は四人記録されている。また瀬戸内海北部の神社に多く祭られている。彼の伝承は残っていたのだろう。


 九州から大和への移動


 九州の弥生後期遺跡の鏡の持ち方と大和纏向北方の天神山古墳の持ち方は一緒(梅原末治)
 纏向遺跡は継続性を持たず、異質な政治的再編を受けている。
 纏向遺跡からは東海・関東・西瀬戸内等の土器が出土しているが、北九州の土器はでていない。これは支配・祭祀・武装の階級が主に東征し、土器を作る女性達の移動は少なく、それらは民衆の動員として吉備などから、古墳の造営には畿内・東海・北陸などの民衆が動員されたと考えていい。(大和岩雄)
 纏向遺跡から掘っ建て柱の建物跡が出土している。宮殿と見なされている。箸墓の真北。卑弥呼の宮殿とか崇神天皇の宮との説が出ている。

建物跡からの復元図




魏志倭人伝』葬儀


 棺あるも槨なく土を封じて塚を作る。始め死するや喪を停むること十余日・・・喪主は哭泣し他人は就きて歌舞飲酒す。巳に葬れば家を挙げて水中に詣りて澡浴す。
 「棺はあるが槨(棺を納める部屋)がなく、直接棺を土中に埋めた。」これは戦後暫くまでの庶民の土葬の一般的やりかただった。気の遠くなる歴史を刻んでいる。前原市平原遺跡の弥生墳も同じように作られているし、また出雲の西谷三号四隅突出方丘墓も同様である。

 2世紀央 平原弥生墳墓からの出土品の特長。
  鏡、刀、玉の三種の神器が出土していること。
  出土した鏡は42面、その中には最大の直径の46.5cmの内行花文八葉鏡が4面ある。
 伊勢神宮の御神体の鏡は、『延喜式』によると、鏡を納めている桶代は一尺六寸三分、『皇太神宮儀式帳』にも御桶代内一尺六寸三分とある。これは約49cm、鏡の大きさが出土品と同じくらいと想像できる

平原遺跡出土の八頭花崎八葉形銅鏡


 平原弥生墳墓の特長。


 平原遺跡墳墓は日向峠からの日の出の光が股間にあたるように埋葬されている。また鳥居と思われる柱穴もその方向を示している。被埋葬者は太陽の子を身籠もる巫女王だったと思われる。

『実在した神話』から

古代出雲の墳墓

 古墳の形状から見る倭国と狗奴国。


 260年頃から巻向型前方後円墳が出現する。邪馬台国などが構成する倭国連合が各地の祭祀を取り入れて首長霊を祀り、継承儀礼を行う施設として前方後円墳を考案した。
 一方、狗奴国であった地域には主に前方後方墳が出現、濃尾平野以東では古墳時代前期前半は殆どがこれ。春日井 束之宮古墳、犬山 青塚古墳。


 また、伊勢・尾張の狗奴国領域からも大和へ多くの人々がやって来た。かれらは大和でも前方後方墳を造営した。フサギ塚古墳・波多子塚古墳・下池山古墳(天理市)、山城では元稲荷古墳(向日市)が初期の古墳である。
 大和以西では前方後円墳が圧倒的に多い。この様式の違いこそ倭国と狗奴国の墓制の差の特長と思われる。
 大和の大和古墳群には前方後方墳が散見される。
 吉備では3世紀後半に前方後方墳(都月坂一号墳)が出現している。

九州の夜明地名 邪馬台国九州説の場合

ヨアケとは屯倉のような防衛の為の出城

 建国神話の相似。


 
百済の建国神話
 兄沸流と弟温祚が建国の地を求めて旅に出る。
 沸流は海浜に都を設置した。仁川付近と思われる。
 温祚は陸地に都を設置した。ソウルの南側と思われる。
 海浜では地が湿っており、建国は出来なかった。
 陸地の方は豊かな国になっていた。
 沸流は自殺し、住民は陸地に移転した。

 
日本の建国神話
 兄五瀬と弟神武が大和の地に建国するべく旅に出た。
 瀬戸内海の航行を主導した五瀬命は生駒で矢傷を負い死亡。
 神武天皇は熊野から大和へと陸地を進軍した。
 神武天皇は大和での抵抗をうち破って建国した。

 
共通点
 兄弟で新しい国を求める
 海の代表の兄は死ぬ
 陸地の代表が建国する



 『記紀』に記述されるまで約400年が経過しており、東征の事実は記憶されていたが詳細は百済建国神話なども参照して構成されたのかも知れない。

  参考書籍 『邪馬台国論争』(岡本健一)講談社、『倭国』(岡田英弘)中公新書、『日本の古代』海人の伝統(中央公論社)、『卑弥呼の正体』(遠山美都男)、『王権誕生』(寺沢薫)、『邪馬台国は二ヵ所あった』(大和岩雄)、『実在した神話』(原田大六)、『古代学入門』(黛弘道)


神奈備にようこそ

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