等乃伎神社(とのき)
大阪府高石市取石二丁目 its-mo


交通案内
JR富木駅 西 800m

祭神
天児屋根命
相殿神 大歳大神、壷大神、菅原道真公、誉田別命
境内社 宇賀之御魂神、天御中主神

本殿

由緒

古事記の巨木伝説の神社
 仁徳天皇記の「枯野(カラノ)といふ船」から
 この御世(ミヨ)に、兔寸(トノキ)河の西に一つの高樹(タカキ)ありき。その樹の影、旦日(アサヒ)に当れば淡道島(アハヂシマ)に逮(オヨ)び、夕日に当れば高安山(タカヤスヤマ)を越えき。かれ、この樹を切りて船を作りしに、いと捷(ハヤ)く行く船なりき。時にその船を号(ナヅ)けて枯野(カラノ)といふ。かれ、この船を以(モ)ちて、旦夕(アサユフ)に淡道島の寒泉(シミヅ)を酌(ク)みて、大御水(オホミモヒ)献(タテマツ)りき。この船、破(ヤ)れ壊(コボ)れたるを以ちて塩を焼き、その焼け遺(ノコ)りし木を取りて琴に作りしに、その音七里(ナナサト)に響(トヨ)みき。ここに歌ひて曰(イ)はく、
枯野(カラノ)を 塩に焼き しが余り 琴に作り かき弾(ヒ)くや 由良(ユラ)の門(ト)の 門中(トナカ)の海石(イクリ)に 振(フ)れ立つ 浸漬(ナヅ)の木の さやさや
 こは志都歌(シツウタ)の歌返(ウタカヘ)しなり。

 兔寸河とは神社東南を流れる富木川、南北朝で焼き討ちに遭う前には、境内に多数の楠の巨木がそびえていたのは、多くの焼き株が発掘されていることでもわかる。 また、河内に王権があった頃には、海岸線が近く、淡路島からの御食や清水を乗せた船はこの森を目指して高津宮に向かう目印になったのかもしれない。

 「とのぎ」という言葉は、古代新羅語の「日の出、朝日」をさすとのこと。 巨木伝説から見ると、夏至の日の出を高安山頂上に拝むことになり、 また、高安山からは、冬至の日にこの神社の方角に日が沈むことになる。

 冬至の日に高安山頂から日が昇る位置に坐摩神社(いかすり)が鎮座していた。
 兔寸は「とき」とも読むことができる。トキ野が訛ったトガ野に、坐摩神社が鎮座していたのは偶然ではない。 双方とも太陽祭祀の場だった。

 石灯籠や拝殿内には「殿来」「殿来大明神」と記される。この社を祀った殿来連の祖は天児屋根命である。

社域 左側に社殿

お姿
 楠木の神木があるが、樹齢は100年も行っていないようだ。 現在の本殿は昭和六十二年に150年ぶりに造営されたようだ。 その昔の本殿は大規模で、朱塗りだったとのこと。
 鳥居正面に石が置かれている。また摂社の天御中主神を祀る祠も石造である。

鳥居

お祭り

 夏至祭  6月22日
 夏越祭   6月30日
 秋例祭  10月 5日
 冬至祭  12月22日


熊野古道、九十九王子社
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