『三輪山の考古学』から「大阪の丹塗矢」
神が異常な生まれ方をする説話は世界的に分布しています。大神神社や賀茂別雷神社の話はそのようなものです。必ず女性が川の水が流れている所で用を足していると、上流から赤く塗った矢が流れてくるというのです。
大阪天満宮のいい伝えをあげておきます。大阪の天神祭というのは関西の人がよく見に行くお祭りですが、最近は船渡御なども賑々しくやっています。あのお宮の天神祭のいちばん大事なところは何かというと、社殿の中に一年問おられた男性 (菅原道真神) が、一年に一度だけ扉を開かれ、赤い矢に載せて頂き、それを載せた船は大川を渡ります。
いまは大川という名前しか残っていませんが、あれは淀川の本流です。いま淀川本流は十三を通っていますが、毛間の閘門が明治後半に出来るまでは大阪市内を流れていました。天神祭では船を大川へこぎ出してその矢をお流しするのです。そうすると、その赤い矢は水のまにまに流れていきますから、その後ろを神官その他の人が船で追いかけていき、その矢がどこの岸に着いたかを調べる。着いた所がその年のお旅所です。
そこが仮のお旅所なのですが、年によるとお宮から十メートル流れて岸に着けば、そこがになる。逆に海に行ってしまったら大変です。あまりに遠くへ行き過ぎると困るので、そのうちにぉ旅所の位置を決めるようになりました。菅原道真の神様も楽しみを奪われたことになります。きょぅはあの辺に芙女がおるから着こうかと思っても、決められた所に着いて、そこから船渡御があるわけです。天神祭の船渡御の本番とはそういうものです。
はやそのときに神様がお屋敷の中におられて、一年に]回、外に出られるから、できるだけ賑やかに 聯し立てる。そうやって神様をお慰めするというのが神社の祭りのほんとうの由来のようです。民俗学や中世史の方がよくいっておられますが、お祭の賑わいを一般に「風流(ふりゆう)」といいます。平安の末から鎌倉の時代に流行りだすのですが、ともかく賑やかにする。神様と人間が一体化し、同じものだと思いだすわけです。いまは神様は人間とはちょつと違うという方向に進んでおりますが・・・。
天満宮の場合は、男性の神様が男性の神様の意の向くほうへ行くということで、その意の向くほぅへ行くというのは赤塗りの矢ということです。
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