出雲市斐川町大字出西544 its-mo 鳥居 交通
拝殿 由緒 阿菩大神は『播磨国風土記』揖保郡神阜の条に、出雲国阿菩大神が、大和三山(香山、耳成山、畝傍山)があり、その香山と耳成山が畝傍山を巡って恋の争いを始めた。出雲の阿菩大神は、この三山相争うことを聞き、「これは自分が行って諫めて止めよう」と出向かれた。はるばる播磨の揖保郡に到着の時、争いは収まったと聞き、大神はせっかくやって来たのにと、「いぼをふった。(不満を言うこと)」。乗ってきた船をそこに覆せ、その上に座ってしまわれた。其の処を神亨(カミオカ)と云った。 本殿はなく立木である。 この粒丘は中臣山の古称であり、式内社中臣印達神社の鎮座地である。祭神は伊達神即ち五十猛神である。『式内社調査報告』で吉岡茂氏は阿菩大神は五十猛神とは考えられないかと問題提起をされている。さらに近くの氷室に曽枳能夜神社に韓国伊太奉社があり、五十猛神を祀っているものとされる。 『神国島根』の伊佐賀神社の項では、阿菩大神の系統は不明だが、塩冶彦命の御子の焼太刀守大穂日子命とする古史系図の存在を示している。さすれば味耜高彦根命の孫神となる。 社殿 お姿 拝殿の前に丸石が置かれており、御神石と云う。さわると不思議な力(エネルギー)が得られると云う。 御神石
参考 『神国島根』、『式内社調査報告』 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |