紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 岩内荘 熊野村から(由也)
○熊野権現社
本山社 長 床
一御前社 中申社ともいふ
大和御前社
三社一境内にありて各区域をなせり
境内宮山 東西百九十一間 南北百四十五間 禁殺生
大 宮 長 床
境内宮山周百十七間 禁殺生
右四社合せてこれを熊野権現といふ 甫谷にありて一材の産土神なり 古は十二社ありしを後世四乱に合祀す 且四社境内相連なりしに炎焼に罹りし後大宮独区域分離すといふ 社家の伝に往古社も壮麗にして神領も多く 祭儀は神輿牟婁郡田辺に渡御す 何(イツ)の頃よりか其事廃して今は十一月初ノ申日大宮祭翌酉日本山祭にて神主禰宣五人馬上にて鉾五本を立て川上荘入野村大山権現に渡御あり 其日大和御前にて神楽あり 中ノ申日一ノ御前にて祭あり 是当時祭礼の式なり 祭麓の時の神楽歌を伝へたり 当社并川上ノ荘の大山権現は疱瘡守護の神にして 有徳大君藩にあらせられしゝとき疱瘡を病せられ両社へ御立願ありて神田各十二石つゝを寄附し給ふ 享保中より境内殺生を禁せられ 社殿御造営あり 享和三年(1803)古の社地分断せりといふ地にて村民一寸余の白玉ニツ鏡二面大刀長刀器物等を掘出したることあり
神主は中村右膳といふ
岩内村
也久志波王子社 境内周三十四間
村中にあり 岩内王子を祀るといふ 岩内王子は御幸記に出たり 此の地河流変遷し岩内王子の社地滅没して後世小社を此に建てしといふ
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