熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
岩代王子と西岩代八幡神社、東岩代八幡神社
印南町西岩代 JRきのくに線岩代駅北300m its-mo


 岩代駅のすぐ北側の線路から海よりの西岩代川口の東側に跡地がある。
 新古今集巻十九(神祇)に「熊野へ詣で侍りしに、岩代の王子に人々の名など書きつけさせてしばし侍りしに、拝殿のなげしにかきつけ侍りし歌」 として「いわしろの神はしるらむしるべせよ頼む憂世の夢の行末」とある。和歌や名前を奉納する社であった。
 有馬皇子が謀反の疑いで連行されていく途中詠んだ挽歌が万葉集にある。
 磐代の 浜松が枝を ひき結び ま幸しくあれば またかえりみむ

結びの松の記念碑 徳富蘇峰筆

 平家物語にも出家した平維盛が追っ手をのがれてこの王子社前を通っているのを見逃される話が載っている。

岩代王子跡



西岩代八幡神社 日高郡南部町西岩代523 mapfan

祭神 品陀別命、足仲彦命、氣長足姫命
摂社 里神神社「伊弉那岐命、伊弉那美命」
摂社 王子神社「天照皇大神、海士出男命」

由緒

 岩代の地名は、岩石信仰から名付けられたともいわれ、中皇命も「君が代も吾が世も知るや磐代の岡の草根をいざ結びてな」(万葉集)(巻1)と歌を詠まれている。 また、有馬皇子も当地で自分の行く末を祈られた歌はあまりにも有名である。 したがって古くから当地に神社があったと思われるが、あまりはっきりしない。

祭り 例祭は、10月4日に行われ、近郷では珍しい廻り舞台のある長床で、県指定無形文 化財の「岩代の子踊り」が奉納される。

西岩代八幡神社の岩代の子踊りの説明

西岩代八幡神社と長床



東岩代八幡神社 日高郡南部町東岩代561 mapfan

祭神 譽田別命
摂社 稲荷神社、住吉神社、天神社

廻り舞台のある神楽殿で踊られる子踊りが県無民で有名である。

祭礼 10月4日

東岩代八幡神社の長床と御神木の楠の木



紀伊續風土記 巻之六十八 日高郡 岩代荘 西岩代村から


○八幡宮  境内周二百四十間
 本社三社 中央五尺五寸 左右各三尺五寸  神楽堂  拝殿
中村にあり 一村の産土神なり 東岩代の八幡宮を勧請すといひ伝ふ

○岩代王子社   境内周四十八間
 浜にあり 御幸記に曰 参中山王子 次出浜参磐代王子 此所為御小養ノ御所無入御 此拝殿ノ板毎度被注御幸ノ人数 中略 自是又先陣過千里浜 此辺一町許 参千里王子とあり 此文によれは磐代王子ノ社の側に御小養ノ御所あり 其處より千里浜を過きて千里王子に詣て給ひしなり 今千里ノ王子を去る事西一町許東岩代村山内村の界海に臨みて御所原といふ小山あり 此御小養御所の跡なるへし 然らは磐代王子も旧此辺にありしならむ 今の社地御所原を去る事七八町にして御幸記と符(カナ)はす東岩代の浜山内と接する所に天神社ああり 疑ふらくは磐代王子の旧地ならん 此王子に山系して板に姓名を書き付ける例とおほしくて新古今集にも此事見えたり
新古今集神祇 熊野へまうて侍しに岩代の王子に人々の名なそ書付させてしはし侍りしに拝殿のなけしにかき付侍りし歌
           よみ人しらす
 岩代の 神としるらん しるへせよ たのむう□世の夢□行□え

 

東岩代村から

○八幡宮   境内周九十四間
 本社三社 中央方一間 左右各三尺三寸
 末社二社   拝殿
村端にあり 藤の森といふ 一村の氏神なり 祭礼八月十四被夜ちいふ 元亀二年(1571)棟札に御地頭岩代右衛門大夫源光倫とあり 其札今は紛失す 村中に地主といふ所あり 右衛門大夫といふ人に住む跡といふ 子孫もありしに今は絶たりといふ


 

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