平成祭礼データ
御神徳 武甕槌命、経津主命の2神は、「古事記」「日本書紀」にその神徳を伝えられているとおり、天照大神の大命を拝し、大国主命に勅命を伝へて、此の国を天孫(瓊々杵尊)に献奉らしめ給ひ、更に諸国を巡り民を慈しみ、国土平定の大功を樹てられた神である。武道の神、心願成就の神として崇められている。また、武甕槌命は、本質的には雷神であり、水の恩恵を下す農業神である。つまり家業繁栄の神とも崇められている。武甕槌命は、茨城県の鹿島神宮(別表神社、元官幣大社)経津主命は千葉県の香取神宮(別表神社、元官幣大社)が夫々根本社である。天児屋根命は、天照大神が天岩戸に隠れ給うた時祷言を申して功を樹て、瓊々杵尊に随い神籬を持ち葦原中国に降り祭祀を奉仕し、又常待して輔弼の大任に当たり、大いなる功績を樹てられた神で、神道の始祖(初代の先祖の意)文教(学問)の祖神と崇められ、御神徳は、永久に仰がれ給う。比売大神は、天児屋根命の祀神にして、内助の功績を挙げ、良妻賢母、として、淑徳(婦人の善良な徳)高く、家庭幸福、子孫繁栄の祖神と崇められている。以上二神は、東大阪市出雲町の枚岡神社(別表神社、元官幣大社)が根本社である。
創祀 創建については未だ明かでない。宝歴十四年(一七六四年)の覚書(興禅寺)には「奈良勧請之由承伝候尤勧請之時節相知レ不申候共往古よ里在所之者産宮ニ祭来ル、天文年号(一五三二年)祝言有之也」とある。
勧請は、明かでないが、大和の春日大社の四所大明神を勧請したと伝えられている。領主山本氏のとき氏神としていたと云う。江戸時代以降は市ノ瀬村の産土神とし、社名は春日大明神または春日社と呼ばれ崇敬された。
神輿渡御神事 享保九年(一七二五年)の古文書「弁財天祭祀輪番記」に、「夫弁財天者擁護於万物之善神也于滋紀伊州牟婁郡櫟原荘一瀬村前河蓬島之弁天宮崇敬数百間也従古当村春日明神之称館所也斯先貞享元年氏子一意而云云・・・・・・」と記されている。此の蓬島は、明治二十二年八月の大水害に流失し、現在その影はないが、その附近の川原を旅所と選定めて、十月十三日の例大祭に神輿渡御神事が行われている所以である。
神賑行事奉納芝居 芝居小屋のことを昔からちょうやと呼んでいる。本殿の正中(真中のこと)の延長がちょうやのまん中であり、しかも本殿と平行に構えられている。正に奉納芝居の精神があらわれている。此の奉納芝居の始まりは明かでないが、昔から神事として若衆等が中心となって受け継がれている。お祭りの一ヶ月余り前から夜遅くまで練習に励み、十月十二日の宵宮祭り、十三日の二夜にわたって大賑である。
以上 |