紀の国の民話・昔話・伝承 神々編 南紀熊野




唐見の松


 上富田町岡の八上王子の森に大きな松の木があった。
 ある時、旅の僧がこの松を見て「このような大きな木は日本中さがしても三本とあるまい。梢までのぼれば京の都でも唐の都でも見えよう」といった。 これを聞いた村の若者がこの松の木にのばり何時かして下りてきてから京の都や唐の都の様子を事細かに話したという。
瀬藤注:八上神社と京の町の間に遮るものがなければ約1,000mの高さの木の上から見える。しかし途中に水宝形山(1,063m)があるので、1,400mの高さでなければ見えない。
海上で標高Hメートルの物標を眼高hメートルから認められる最大距離Kキロメートルは
K=4*(SQR(h)+SQR(H))。

関連する神社 八上神社「天照大神」西牟婁郡上富田町岡1382



西行桜


 上富田町の八上王子境内にあり。昔、田辺藩の毛見役人が槍でこの桜の幹を突いたところ槍が折れてしまつたという。



蟻通神社の楠


 田辺市湊の蟻通神社には大きい楠がある。 昔、この近辺に大火があった時、不思議にもこの楠の枝葉からさかんに白水が噴き出て延焼を食い止めたという。 またある時、この楠の枝が社殿の上に延びてきたので伐り取ることになった。 木こりが木の上にのぼったがすぐ下りてきて
「金の幣が目の前にきて挽くことができん」という。
 二、三人替わってやってみたが同じことであった。最後にのぼった木こりが無理に鋸を入れたとたんに木から落ちて大怪我をしたという。
関連する神社 蟻通神社



皆地の大楠


 本宮町皆地の高野池の傍に大きな楠の木があり、その枝は鏡紳社の裏山に届いていた。 ある時、村人がこの木を伐り倒そうとしたが一日では伐り倒すことができない。 二日日の朝木の所へ行ってみると、前日伐った切り口が元通りになっている。 そこで、たまたまこの地に釆ていた安倍晴明に見てもらったところ、満月の夜この楠の枝を伝って鏡神社へお参りしている高野池の主の仕業であるといい、昼夜休むことなく鋸を入れその引き屑を焼き捨てるよういった。 村人たちはその教え通りにし七日七挽かかってやっとその楠の木を伐り倒したという。
関連する神社 熊野本宮大社 本宮町唯一の神社、鏡神社も合祀されたか?



有田神社の大楠


 有田神社(串本町)にある大楠は神としてあがめられ、この木の上を吹く風の音で翌日の天気や村の運勢を知ることができたという。
関連する神社 有田神社「應神天皇、速玉男命」西牟婁郡串本町有田上165



藤巌神社の大楠


 闘鶏神社(田辺市)内の藤巌神社前に大楠がある。 この大楠の根元に大きな洞があってここに乞食が住みついていた。 ある時、この乞食の失火で木の根元に火がついた。 すると不思議なことにこの楠の木が水を噴き、その火を消し止めたという。
 現在でも、楠は山林の類焼防止の為にある間隔で植えられている。
関連する神社 闘鶏神社



本ノ宮神社の柏槙


 潮岬本ノ宮神社(串本町)の柏槙は病気によくきくといわれた。 熱病にかかった辟、この木の空洞に首を突っ込むと熱が下がるとか、歯が痛い時、この木の皮を剥いてロに含むと痛みが止まるといわれてきた。

 潮岬本ノ官神礼境内にある老樹を住民たちが「奇しき樹」と思い、「霊し樹」と呼んでいた。串本という地名はこの「霊木の下」からきたといわれる。
関連する神社 潮崎本之宮神社「上筒男命、中筒男命、底筒男命」西牟婁郡串本町串本1517



稲荷神社の神木


 慶長十年、浅野左衝門佐が稲荷山(田辺市)の神木を伐って船を造ったところ、船卸をしたとたん海中に沈んでしまったという。
関連する神社 稲荷神社「稚産靈神ほか」田辺市稲成町1124



ゴトヒキ岩


 神々が天降った磐坐といわれ、神聖視されている新宮神倉山の巨岩。
関連する神社 神倉神社「高倉下」新宮市新宮



ホコジマ


 飯盛山(本宮町)の項上近くにある巨岩で、昔、高倉下命がここで剣を得たといわれている。



救馬谷の岩屋


 昔、上富田の救馬谷に陀々鬼羅祝という山賊が住んでいて、里へ出ては悪事を働いていた。 新宮の高倉下命がこの賊のことを聞いて討伐の軍を出したが、救馬谷は守るに易く改めるに難い地形なので、なかなか手を出せなかった。
 その時、討伐軍の中にいた多計母知命という豪の者が、夜陰に乗じて裏手から岩屋の上に登り、上から縄梯子を垂らして攻め入らせたので、さしもの陀々鬼羅祝も討たれたという。



神倉山


 熊野三所大神降臨の地といわれ、神武天皇の登った「天磐盾」であるとも伝えられている。
関連する神社 神倉神社 新宮市新宮



通夜島


 神功皇后の帰途、香阪・忍熊両皇子の反乱にあい、都に帰れず西国に落ちのびた。 その時、御子(後の応紳天皇)は武内宿禰に伴われてこの島に逃れ夜を明かした。 そこでこの島を「通夜島」と呼ぶという。 串本町大島の「春祭り」は島民が通夜島に逃れてきた御子を救出した時の模様を再現したものという。
関連する神社 水門神社「譽田別命」西牟婁郡串本町大島73-2



女郎島


 江戸時代のこと、江戸から大阪へ向う船が串本の御崎神社の前にさしかかった時、突然大時化となり船は今にも波にのみ込まれそうになった。 たまたまこの船に吉原の女郎を一人を乗せてあったので、船乗りは
「これは船に女を乗せたため海神が怒ったのだ」といい、女郎を海に投げ込んでしまった。
 しかし、海神の怒りはこれだけではおさまらず、ついに船を海底に沈めてしまった。 その後近くの小島で大きな鮑がとれだし、土地の漁師達はこれを御供にされた女郎の化身といい、この島を「女郎島」と呼ぷ上うになったという。
関連する神社 潮御崎神社「少名彦名命」西牟婁郡串本町潮岬2878



矢倉様


 神様が一木の矢となって天から降られた.その落ちた所が井戸となって美くしい水が湧き出し、人々はこの井戸を御神体として「矢倉様」と呼ぷようになったという。
関連する神社 矢倉神社「高倉下命」西牟婁郡串本町高富429



権現島


 新宮の熊野権現がはじめこの島に天降り、後に新宮へ遷座したと伝えられている。 権現がこの島を去る時、島民が「また来てください」というと、「待つなよ」といった。 それでこの島には松の木が生えないという。



私語橋


 昔、本宮の神様と新宮の神様が、この橋の上でささやきあったのでこの名がつけられたという。 また、一説には、川の流れがきさやくように聞こえるところからつけられたともいわれる。
関連する神社 熊野本宮大社
関連する神社 熊野速玉大社



滝尻王子付近


 藤原秀衝が滝尻王子の維持費として黄金を埋めたという。
関連する神社 瀧尻王子宮十郷神社 西牟婁郡中辺路町栗栖川859



白長神社


 大旱魃の時、村に来た修験者が滝にうたれながら行をおこなうと、一匹の白蛇が滝をのぽり、滝の上で白竜となって天にのぼった。 白竜はやがて雲に乗ると一天にわかにかきくもって大雨となり、稲は生気を取り戻した。 この白蛇をまつったのが白長神社だという。
関連する神社 中辺路町



熊野の縁起


 昔、熊野の神は、各地を遍歴した後、新宮の南部にある神蔵山(神倉山)に降り、次に新宮の東にある石淵の谷に移った。 この時、結(夫須美大神)早玉(速玉)と家津美御子を二社殿に祭ったが、十三年後に家津美御子が本宮に遷ったという。 景行天皇の御代に石淵から結・早玉の二神を勧請したのが熊野速玉大社だという。



本宮祭神


 木宮の神様は、もと権現平(田辺市)に鎮座していたが、海に近く岸に打ち寄せる波の音がやかましいので、山里へ移った。 ところが、そこも滝の音や松風にうんぎりして、たった一日滞在しただけでまた旅立ち、音無しの里(本宮町)をさがしあて、そこの音無しの森を永住の地と決めたという。
 権現平の解野神社はその跡で、田野井(日置川町)の拝み田は熊野の神が富田から山を越して来て休息した時、土地の人々が伏し拝んだ所という。 また、追ケ芝は、神様が背負っていた荷物を下ろして休んだ所なのでこの名がついたという。
 また一説では、本宮の祭神はもと阿須加社北の石淵の谷に鎮っていたが、十三年後に本宮大湯原の一位の木の梢に三枚の月形として降りた。 その後八年たった時、岩田川の住人・熊野部千与定という猟師が大猪を追ってこの木の下に来て、三枚の月形(三面の鏡)を見つけ、熊野権現のの御正体としてまつったという。
関連の神社 阿須賀神社「事解男之命」新宮市阿須賀1-2-25



熊野の本地


 魔訶陀国の善財王が王位を子に譲り、知見上人とともに天空を飛車に乗って日本に渡来、和歌浦に上陸した後、音無川の辺りに鎖座して熊野神社の先駆けとなった。 王の寵妃たち九九九人が王の後を追って毎を渡ってきたが、途中で難船て溺死、その亡霊が赤虫となって熊野詣の道者を悩ませつづけることとなった。
 また一説では天竺の魔渇陀国の大王(善財王)は占師のことばで後官に千人の后を召すが、千人目の后は五衰殿の女御で、容顔美麗なばかりでなく、心やさしい観音信者だったので大王の心をとらえ懐妊する。 九九九人の后は嫉妬して、王子が謎生すれば父を殺すであろうと讒奏するが大王の心が動かないので、九九九人0の男を雇い、鬼神化物に扮して女御の悪口を叫ばせたので、ついに大王は妊娠中の五衰殿を輿に乗せて山中に棄てさせる。 何日か後、山中で王子が誕生。女御は護送の武士に殺されたが、王子はその死骸の乳房をすい、虎狼にまもられて成長する。 ついに伯父の知見上人に拾われて王宮に帰り、五衰殿も蘇生する。 ところが、王子は無常を感じ、大王と女御にすすめて日本に飛来、これが隈野の神々となる。 大王は本宮証誠殿、五衰殿は那智結宮両所権現、王子は若王子社である。
 九九九人の后も大王を慕って日本へ渡る途中、暴風で海底に沈み、その霊が赤い虫となって熊野路のイタドリにとりついたという。



滝尻王子


 藤原秀衝夫妻が熊隈野詣での途中、妻が急に産気づき、滝尻王子で男子(和泉三郎)を出産。 その子を岩穴に残し、熊野参拝をすませて帰ってみると、子は岩からしたたる乳を飲み、狼にだかれて元気に育っていた。 その岩穴は「乳岩」と呼ばれている。
関連の神社 瀧尻王子宮十郷神社 西牟婁郡中辺路町栗栖川859



継桜王子


 滝尻王子近くの岩穴に赤子を残した藤原秀衝が、桜の枝を地にさし、「参詣の帰りに、この桜の枝に花が咲いていれば子は無事」といって、本宮へ急いだが、熊野参拝を終えて帰ってみると、桜の花はきれいに咲いていたという。
関連の神社 継桜王子(若一王子神社) 西牟婁郡中辺路町野中



伏拝王子


 和泉式部が熊野詣の途中、伏拝王子まできた時、にわかに月の障りとなり、本宮参拝ができずとどまりていたところ夢の中に熊野権現が現れ、「月の障りもくるしくない」とのお告げがあった。 そこで、式部は喜んで何度も熊野権現を伏し拝み、参拝をすませたという。
 現在、王子祠の横に「和泉式部供養塔」がたてられている。
関連の神社 伏拝王子 本宮町伏拝



切目王子


 平清盛が熊野詣での途中、源義朝らが京都で兵を挙げたことを知った。 そこで切目王子の御社で評議を行った結果、熊野権現参拝を断念し京へ引き返すことにした。 そこで一行は、この社に必勝を祈願し、魔除けとされている王子社境内の榔の小枝を鎧にさして京に向ったといわれている。
関連の神社 切目五体王子社(切目神社)「天照大神」日高郡印南町西ノ地328



稲荷神社


 文禄元年、秀吉が朝鮮へ遠征した折、杉若越後守の子息・主殿頭も出征することになった。 出発の日、越後守の家来・奥阪某が稲荷神社にきて、戦勝を祈った際、社人の止めるのを聞かず、神殿の扉を開いて神像を見たとたん神像から光が出て両眼を失明したという。
関連の神社 稲荷神社 田辺市稲成町1124



那須八幡宮


 源氏の武将・那須与一宗高が鎌倉から御神体を携えてこの地を訪れ、御社を建てたという。
関連の神社 長野八幡神社 田辺市長野988-2



粉白姫宮


     昔、粉白の浜に美しいお姫様の死体の入った箱が打ち上げられた。 箱の中には「わたしをていねいに葬ってくれるなら、女の腰から下の病気を治してあげます」と書いた手紙が入っていたので、この地におまつりしたという。
那智勝浦町紛白



藤九郎神社


     昔、瀬戸の海岸に大きな箱が流れ着いたので土地の漁師が怪しんで開けてみると、中から一人の老人が出てきた。 漁師はその老人を家に連れ帰って世話をすることにした。 その老人は釣りが好きで、毎日のように向いの島(現在「遊び島」と呼ばれている島)へ釣りに出かけていたが、ある日、ウツボに手を噛まれたのがもとで死んでしまった。
 漁師は老人を自分の所有する土地に葬り、まつることにした。 それが藤九郎御社で、船に乗るとき、この神社に参詣すれば海が荒れず、ウツボを断って願をかけると船酔いしないという。
関連の神社 恵美須神社 西牟婁郡白浜町瀬戸623



弁財天祠


 三楢の切岩に弁財天がまつられており、毎月一月の朝、この弁財天が米を洗うので、そこの川の水が白くなったという。
近くの神社 珠簾神社 田辺市上三栖46



一原様


 昔、一原某という人がどこからかやってきて才野に住みつき、村人を扇動していろんなことをするので、このままではどのようなことを仕出すかわからないと、みんなで殴り殺してしまったが、その後怨霊が祟るので神様としてまつることにしたという。 また 一原某の祟りで若者の死ぬのが多かったので、それを免れるため若者達で「お日待ち講」をはじめたという。
白浜町



木ノ本様


 昔、南島沖で船が難破した時、木ノ本の森に光明が輝き、海が明るくなったので、数人の船員の命が助かった。 そこで住民は木ノ本の森に社をつくり部落の守り神とした。 その後、この部落で胡瓜を作ると必ず悪疫が流行したので、いろいろ調べてみると木ノ本様の紋章が胡瓜であることがわかった。 それでこの部落では胡瓜を作らなくなったという。
近くの神社 八幡神社 串本町和深1123



熊野牛王


 熊野牛王(一名「おからす」)の裏に起請文を書いて、その誓約を破った時は、熊野の烏が一羽死に、その人に神罰が下る。 また、この紙の一片を違反者に飲ませると血を吐くという。
関連する神社 熊野本宮大社ほか



稲荷神社の神木


 慶長十年のこと、浅野左衛門佐が稲荷神社境内の御神木を伐り倒して船を造ったが、船卸しの日に海中に沈んでしまったという。 また、黒阪某が社人の止めるのを聞かず、神殿の扉を開け、神像を見て失明した話は前述の通り。
関連する神社 稲荷神社 田辺市稲成町




参考文献
 和歌山県史 原始・古代 和歌山県
 日本の民話紀の国篇(荊木淳己)燃焼社
 和歌山の研究5 方言民俗篇(和田 寛)清文堂

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